南北スーダン国境紛争 (2012年)
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南北スーダン国境紛争(なんぼくスーダンこっきょうふんそう)は、2012年に発生したスーダン共和国(北スーダン)と南スーダン共和国の国境紛争。同国境界部の油田地帯を中心とした争い。
概要
[編集]スーダン共和国(北スーダン)とスーダン人民解放軍(南スーダン政府の実質的な前身)は、油田のあるアビエイ地区の帰属を巡り対立を続けていたが、2008年にアビエイ地域以外のアビエイ地区の帰属がスーダン側にあるとして南北が合意に至った。しかし詳細な詰めは行われずに南スーダンは独立。2012年3月、南スーダン政府軍は、一部油田の権益は南スーダン側にあるとしてスーダン側の領域にあったヘグリグ油田に地上部隊を送り込み武力侵攻を行った。南スーダン側の主張によれば、ヘグリグ油田は、和平で同意したアビエイ地区(アビエイ地域を除く)に含まれず、スーダンに帰属したとは認めていないというものである[1]。
経緯
[編集]2012年
[編集]- 4月10日 南スーダン軍がヘグリグ油田を制圧。
- 4月12日 スーダン空軍が南スーダンユニティ州の州都ベンティウの橋を空爆。
- 4月18日 スーダンのバシール大統領が南スーダン市民の解放をめざし、ジュバを目標に反撃する旨の演説を行う[2]。
- 4月22日 南スーダン軍がヘグリグ油田から撤退開始。
- 4月23日 スーダン空軍がベンティウの空爆を再開。
- 12月22日 南スーダンに派遣されていた国際連合のヘリコプターが、スーダン軍の機体と誤認され、南スーダン軍に撃墜された。乗員4名が死亡した[3]。
2013年
[編集]国際調停
[編集]国際連合安全保障理事会は、両国を非難。全面戦争を回避するために即時停戦を求めている[5]。2012年5月2日、安保理はスーダンと南スーダンの両国に即時停戦を要求、守られない場合は両国に経済制裁を警告する決議案を全会一致で採択した。難色を示していた中国、ロシアも賛成に回った[6]。
日本の玄葉光一郎外相は、2012年5月5日、スーダンのアジャブ外務担当国務大臣、南スーダンのワコソン国際協力副大臣と会談し、両国に和平協議を再開するよう求めた[7]。
出典
[編集]- ^ “スーダンが南スーダン領内を空爆か、両国首脳が非難の応酬”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年4月13日) 2012年4月29日閲覧。
- ^ “スーダンのバシル大統領、南スーダンの「虫けら」政府打倒を宣言”. AFPBB News (フランス通信社). (2012年4月19日) 2012年4月29日閲覧。
- ^ “南スーダンで国連ヘリ撃墜、4人死亡 政府側が誤射”. 朝日新聞. (2012年12月22日) 2013年1月12日閲覧。
- ^ “南北スーダン大統領が会談、油田地帯の扱いで暫定合意”. CNN. (2012年1月7日) 2012年1月7日閲覧。
- ^ “スーダン全面戦争の恐れ 国連安保理が停戦要求”. テレビ朝日. (2012年4月13日)
- ^ “スーダン停戦要求決議を採択 国連安保理が全会一致”. 日本経済新聞. (2012年5月3日)
- ^ “南北スーダン閣僚らとそれぞれ会談 玄葉外相 - 政治”. 朝日新聞. (2012年5月7日)
関連項目
[編集]- 第二次スーダン内戦
- 2011年南部スーダン独立住民投票
- 国際連合南スーダン派遣団
- 自衛隊南スーダン派遣
- 中国石油天然気集団: アビエイ地区のパイプライン輸送に参画