南岩倉具威
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南岩倉 具威(みなみいわくら ともたけ、1869年7月10日(明治2年6月2日) - 1945年(昭和20年)10月11日[1])は、明治から昭和時代の華族、貴族院議員。爵位は男爵。
家系
[編集]堀河康隆の子。妻は従一位宮中顧問官岩倉具綱の娘、亥尾子。子に具勝、爵位を襲爵した具聡、具俊、紙恭輔の妻となった万佐子らがいる。
来歴
[編集]幼名は昌丸。従兄にあたる興福寺正知院住職・南岩倉具義(岩倉具視の長男)の養子となる。1884年(明治17年)に男爵を授爵、岩倉家の門流南岩倉家を相続する。その後、日本橋簡易商業夜学校(現在の中央学院大学)の初代校長なども務めた。1897年(明治30年)7月10日、貴族院男爵議員に就任し[2]、1925年(大正14年)7月9日まで4期在任した[3]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[6]
脚注
[編集]- ^ 霞会館 1996, p. 694.
- ^ 貴族院事務局 1947, p. 8.
- ^ 衆議院 & 参議院 1990, p. 86.
- ^ 『官報』第1782号「叙任及辞令」1918年7月11日。
- ^ 『官報』第4066号「叙任及辞令」1940年7月26日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 貴族院事務局『貴族院要覧(丙)』 昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
- 衆議院、参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 霞会館『平成新修旧華族家系大成』 下巻、吉川弘文館、1996年。
関連項目
[編集]日本の爵位 | ||
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先代 叙爵 |
男爵 南岩倉家初代 1884年 - 1945年 |
次代 栄典喪失 |