南島原市立蒲河小学校
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南島原市立蒲河小学校 | |
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北緯32度40分01秒 東経130度18分53秒 / 北緯32.666972度 東経130.314611度座標: 北緯32度40分01秒 東経130度18分53秒 / 北緯32.666972度 東経130.314611度 | |
過去の名称 |
第五大学区第三中学区蒲河小学校 第五大学区第二中学区蒲河小学校 東有家学区蒲河小学校 東有家学区二等有家小学校蒲河分校 簡易蒲河小学校 尋常蒲河小学校 蒲河尋常小学校 有家第二尋常小学校 有家町第二国民学校 有家町立第二小学校 有家町立蒲河小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 南島原市 |
設立年月日 | 1874年(明治7年)2月15日 |
閉校年月日 | 2021年(令和3年)3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001893 |
所在地 | 〒859-2204 |
長崎県南島原市有家町蒲河1641番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
南島原市立蒲河小学校(みなみしまばらしりつ かまがしょうがっこう)は、長崎県南島原市有家町蒲河にあった公立小学校。
2021年(令和3年)3月末に閉校し、南島原市立新切小学校とともに南島原市立有家小学校に統合された[1][2]。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)に「蒲河小学校」として開校。2014年(平成26年)に創立140周年を迎えた。創立147年目の2021年(令和3年)3月末に、有家地区の小学校3校が統合され、閉校した。
- 学校教育目標
この節の加筆が望まれています。 |
- 校章
- 八稜鏡と花の絵を組み合わせたものを背景にして「小」の文字を置いている。
- 校歌
- 1975年(昭和50年)に制定。作詞は末吉武史、作曲は福田伸光による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「蒲河小学校」が登場する。
- 校区
- 住所表記で南島原市有家町の後に「蒲河(蛇田[3]を除く)、山川(白崎[4])」が続く地域。中学校区は南島原市立有家中学校[5]。
沿革
[編集]- 1874年(明治7年)
- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改正[10]により、「第五大学区第二中学区[11]蒲河小学校」に改称。
- 1878年(明治11年)
- 1882年(明治15年)5月 - 教育令の改正により「東有家学区蒲河小学校」と改称。
- 1884年(明治17年)10月 - 統合により「東有家学区二等有家小学校 蒲河分校」となる。
- 1886年(明治19年)8月 - 小学校令の施行により、簡易科(修業年限3年)を設置の上「簡易蒲河小学校」として独立。
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、東有家村立の小学校となる。
- 1891年(明治24年)9月 - 尋常科(修業年限4年)を設置の上「尋常蒲河小学校」に改称。
- 1893年(明治26年)10月 - 小学校令の改正により、「蒲河尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変わる)。蒲河浜にある荒木作蔵所有の屋敷を借用して移転。
- 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1911年(明治44年)9月 - 現在地に移転を完了。
- 1927年(昭和2年)1月1日 - 東有家村が町制施行により有家町となったため、「有家第二尋常小学校」と改称。
- この時、同町内の東有家尋常小学校が「有家第一尋常高等小学校」に、尾上尋常小学校が「有家第三尋常小学校」となった。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行に伴い、「有家町第二国民学校」と改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、有家町第二国民学校の初等科が改組され、「有家町立第二小学校」となる。
- 1948年(昭和23年)9月 - 学校後援会を解消し、育友会を組織。
- 1951年(昭和26年)6月1日 - 「有家町立蒲河小学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)
- 1974年(昭和49年)3月16日 - 体育館が完成。
- 1975年(昭和50年)10月5日 - 創立100周年記念式典を挙行。校歌を制定。
- 1978年(昭和53年)7月30日 - プールが完成。
- 2006年(平成18年)3月31日 - 南島原市の発足に伴い、「南島原市立蒲河小学校」(現校名)に改称。
- 2021年(令和3年)
- 2月14日 - 閉校式を挙行[2]。
- 3月31日 - 閉校し、南島原市立有家小学校に統合された[1][2]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 島鉄バス 「白崎」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 国道251号(島原街道)
- 最寄りの鉄道駅
周辺
[編集]- 前田公民館
参考資料
[編集]- 「有家町郷土誌」(1981年(昭和56年)3月31日発行, 有家町教育委員会)p.487 -
- 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「有家町」
脚注
[編集]- ^ a b 南島原市立有家小学校からのお知らせ - 南島原市教育委員会
- ^ a b c 「明治初期開校 歴史に幕 新切、蒲河、有家小が順次閉校式、新・有家小に」- 西日本新聞 長崎県版(第49291号(日刊), 2021年(令和3年)2月8日)第16面「長崎ワイド」
- ^ 蛇田は南島原市立新切小学校の校区。
- ^ 白崎以外の山川名は南島原市立有家小学校の校区。
- ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
- ^ a b c 「名」(みょう)は「地区」を表す。
- ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 「蒲川」とも(参照:長崎県教育史上巻p.553)
- ^ 長崎県教育史上巻p.553
- ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
- ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 南島原市立蒲河小学校 - 南島原市教育委員会ウェブサイト