南島原市立有家小学校
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南島原市立有家小学校 | |
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北緯32度40分07秒 東経130度18分07秒 / 北緯32.668694度 東経130.302056度座標: 北緯32度40分07秒 東経130度18分07秒 / 北緯32.668694度 東経130.302056度 | |
過去の名称 |
中須川小学校 第五大学区第三中学区有家町小学校 第五大学区第二中学区有家小学校 東有家学区有家小学校 東有家学区二等有家小学校 尋常東有家小学校 東有家尋常小学校 東有家尋常高等小学校 有家第一尋常高等小学校 有家町第一国民学校 有家町立第一小学校 有家町立有家小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 南島原市 |
併合学校 |
南島原市立新切小学校 南島原市立蒲河小学校 |
設立年月日 | 1873年(明治6年)3月10日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B142210001884 |
所在地 | 〒859-2201 |
長崎県南島原市有家町久保180番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
南島原市立有家小学校(みなみしまばらしりつ ありえしょうがっこう)は、長崎県南島原市有家町久保にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1873年(明治6年)に「中須川(なかすかわ)小学校」として開校。2013年(平成25年)に創立140周年を迎えた。創立148年目の2021年(令和3年)に、有家地区の小学校3校(有家・新切・蒲河)の統合により、新しい「有家小学校」として開校した。
- 学校教育目標
- 「学校や地域で生き生きと活動する心豊かな子どもの育成」
- 校章
- 1966年(昭和41年)に制定。旧有家町の町章(「有」の文字を図案化したもの)の上に「小」の文字を置いている。
- 校歌
- 1956年(昭和31年)に制定。作詞は松原寛、作曲は伊藤英一による。歌詞は4番あり、歌詞中に校名は登場しない。
- 校区
- 住所表記で南島原市有家町の後に「久保、小川、中須川、山川、尾上、蒲河」が続く地域。
- 中学校区は南島原市立有家中学校[1]。
沿革
[編集]- 前史
- 正史
- 1873年(明治6年)3月 - 町(まち)村の中須川名[2]字堤にある庄屋の屋敷を校舎として、「中須川小学校」が開校。
- 1874年(明治7年)
- 1876年(明治9年)
- 1877年(明治10年)6月4日 - 学区改正[4]により、「第五大学区第二中学区[5]有家小学校」に改称。
- 1878年(明治11年)12月24日 - 郡制の施行に伴い学区が改正され、「南高来郡隅田部[6]有家小学校」となる。
- 1879年(明治12年)- 西有家村の久保名が東有家村に統合される。
- 1882年(明治15年)5月 - 教育令の改正により「東有家学区有家小学校」と改称。
- 1884年(明治17年)10月 - 「東有家学区二等有家小学校」と改称。尾上小学校と蒲河小学校を統合し、それぞれ「尾上分校」・「蒲河分校」とする。
- 1886年(明治19年)
- 1889年(明治22年)4月 - 町村制の実施により、東有家村立の小学校となる。
- 1893年(明治26年)10月 - 小学校令の改正により、「東有家尋常小学校」と改称(「尋常」の位置が変わる)。
- (長崎県)第六高等小学校が廃止される。跡地に東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合有家高等小学校が設置される。
- 1904年(明治37年)9月1日 - 旧校舎の不備・不便により、東隈田(現在地)に校舎を新築し移転を完了。
- 1908年(明治41年)4月 - 義務教育年限が4年から6年に延長されたことにより、尋常科5年を新設。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。
- 1912年(明治45年)
- 3月 - 東有家村・西有家村・堂崎村三村学校組合立有家高等小学校が廃止される。
- 4月1日 - 有家高等小学校の廃止に伴い、高等科を併設の上「東有家尋常高等小学校」と改称(尋常科6年・高等科2年)。
- 1914年(大正3年)4月 - 有家高等小学校の旧校舎を当時の校舎の北東部に移築。
- 1916年(大正5年)- 東有家村立農業補習学校を併設。
- 1921年(大正10年)
- 高等科修了者を対象にした補習科(修業年限1年)を設置(尋常科6年・高等科2年・補習科1年)。
- 併設の農業補習学校が「東有家農業補習学校」に改称。
- 1924年(大正13年)3月 - 運動場を拡張。4教室を増築。
- 1926年(大正15年)- 併設の東有家農業補習学校に青年訓練所が併設される。
- 1927年(昭和2年)1月1日 - 東有家村が町制施行により有家町となったため、「有家第一尋常高等小学校」と改称。補習科を廃止(尋常科6年・高等科2年)。
- この時、同町内の蒲河尋常小学校が「有家第二尋常小学校」に、尾上尋常小学校が「有家第三尋常小学校」となった。
- 1928年(昭和3年)- 併設の農業補習学校と青年訓練所が統合され、「青年訓練認定有家実業補習学校」となる。
- 1934年(昭和9年)1月 - 2階建て6教室が完成。
- 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の実業補習学校が「有家青年学校」となる。
- 1941年(昭和16年)
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
- 1950年(昭和25年)9月 - 有家中学校の新校舎完成に伴い、中学校が移転。併設・二部授業を解消。
- 1951年(昭和26年)6月1日 - 「有家町立有家小学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)3月2日 - 校歌を制定。
- 1962年(昭和37年)6月 - 校舎を改築(第一期工事)。鉄筋コンクリート造3階建て9教室が完成。
- 1963年(昭和38年)
- 4月 - 校舎を改築(第二期工事)。運動場を拡張。
- 11月 - 大竹惣三郎(初代校長)の頌徳碑を建立。
- 1966年(昭和41年)
- 2月 - 校章を制定。
- 6月 - 体育館が完成。
- 12月 - 岩石園が完成。
- 1968年(昭和43年)8月 - プールが完成。
- 1971年(昭和46年)3月 - 「光と希望の像」を建立。
- 1973年(昭和48年)3月10日 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1987年(昭和62年)8月 - 運動場を全面改修。
- 1992年(平成4年)4月 - 完全給食を開始。
- 1996年(平成8年)12月 - 桜の苗木を植樹。
- 1998年(平成10年)10月 - 旧体育館の解体を開始。
- 1999年(平成11年)7月 - 体育館が完成。
- 2001年(平成13年)11月 - パソコン室が完成。インターネットに接続。
- 2002年(平成14年)2月 - ありえ寺子屋21を開始。
- 2003年(平成15年)8月 - 校舎1階東側に洋式トイレを設置。
- 2004年(平成16年)10月 - 台風により校舎の一部に被害。
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)4月 - 特別支援学級(情緒障害)を増設。
- 2021年(令和3年)
- 2月21日 - 閉校式を挙行[10]。
- 4月1日 - 南島原市立新切小学校と南島原市立蒲河小学校を統合し、新しい「南島原市立有家小学校」としてスタートした[11][10]。
交通アクセス
[編集]- 最寄りのバス停
- 島鉄バス 「田町」バス停
- 最寄りの国道・県道
- 国道251号(島原街道)
- 長崎県道132号雲仙有家線
- 最寄りの鉄道駅
周辺
[編集]参考資料
[編集]- 「有家町郷土誌」(1981年(昭和56年)3月31日発行, 有家町教育委員会)p.485 -
- 「長崎新聞に見る長崎県戦後50年史(1945~1995)」(1995年(平成7年)8月9日発行, 長崎新聞社)「有家町」
脚注
[編集]- ^ 小学校通学区域 - 南島原市教育委員会ウェブサイト
- ^ a b c この「名」(みょう)は「地区」を表す。
- ^ 長崎区を第一中学区、旧大村藩を第二中学区、旧島原藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 長崎県教育史上巻p.441- - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー
- ^ 長崎区を第一中学区、旧島原藩を第二中学区、旧大村藩を第三中学区、旧平戸藩を第四中学区、旧福江藩を第五中学区とする。壱岐と対馬は第四中学区に属した。
- ^ 第二中学区(南高来郡)は小浜部・隅田部・神代部・島原部の4部に分けられた。(参照:長崎県教育史上巻p.442 - 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー)
- ^ 現・南島原市有家町中須川字堤156番3号。
- ^ 現在、十八銀行有家支店は南島原市有家町山川133番4号にある。
- ^ 長崎県教育史下巻p.46 - 国立国会図書館近代デジタルライブラリー
- ^ a b 「明治初期開校 歴史に幕 新切、蒲河、有家小が順次閉校式、新・有家小に」- 西日本新聞 長崎県版(第49291号(日刊), 2021年(令和3年)2月8日)第16面「長崎ワイド」
- ^ 南島原市立有家小学校からのお知らせ - 南島原市教育委員会
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 南島原市立有家小学校 - 南島原市教育委員会ウェブサイト