南方熊楠記念館
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南方熊楠記念館 Minakata Kumagusu Museum | |
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施設情報 | |
管理運営 | 財団法人南方熊楠記念館 |
開館 | 1965年4月 |
所在地 |
〒649-2211 和歌山県西牟婁郡白浜町3601-1 |
位置 | 北緯33度41分37.4秒 東経135度20分10.6秒 / 北緯33.693722度 東経135.336278度座標: 北緯33度41分37.4秒 東経135度20分10.6秒 / 北緯33.693722度 東経135.336278度 |
プロジェクト:GLAM |
南方熊楠記念館(みなかたくまぐすきねんかん、Minakata Kumagusu Museum)は、和歌山県西牟婁郡白浜町にある博物館。
概要
[編集]世界的博物学者・南方熊楠の記念館である。熊楠の業績顕彰と文献・標本類・遺稿・遺品等膨大な資料の保存と公開および学術振興を目的として1965年4月に開館した。収蔵資料の一部が写真や年表とともに解りやすく展示されている。本館の耐震補強工事と新館建設が行われ、本館は2016年11月9日から休館。2017年3月19日に新館がオープンすると同時に本館も再開館した[1]。
高台にある館の屋上展望台から南紀の海を望むことができ、館の前には昭和天皇歌碑が建つ。
「雨にけふる 神島を見て紀伊の国 生みし南方熊楠を思ふ」
本館
[編集]本館は番所山の頂上部(標高約33m)に1965年に建設された鉄筋3階建ての施設[1]。南方熊楠の遺族から文献・標本類・遺稿など膨大な資料の寄贈を受け保存・公開している[1]。
展示概要
[編集]- 第1コーナー - 幼年期~青年期
- 第2コーナー - 海外での活躍
- 第3コーナー - 親しい人々
- 第4コーナー - 博物学者として
- 第5コーナー - 民俗学者として
- 第6コーナー - 晩年
主な展示品
[編集]- 全長7.7mの自筆「履歴書」
- 映像作品「南方熊楠 - その人と生涯」(文部省教育委員会製作、文部大臣賞受賞作品)等の上映
- 隠花植物等の標本類
- 柳田國男との往復書簡
- 民俗学腹構・原稿
- 南方熊楠文庫(蔵書の閲覧・貸出可)
建築概要
[編集]- 開館 - 1965年4月
- 延床面積 - 512.65m2
新館
[編集]新館は2017年3月に開館の鉄筋2階建ての白色で統一された建物[1]。
展示概要
[編集]1階はビジターセンターとしての役割を果たす施設、2階は常設展示場となる[1]。
建築概要
[編集]所在地
[編集]位置情報
[編集]北緯33度41分37.46秒 東経135度20分10.52秒 / 北緯33.6937389度 東経135.3362556度
南方記念館建設之碑(碑文)
[編集]昭和4年6月1日 天皇陛下は御召艦長門に乗御供奉の那智灘風外6隻を従えさせられ威風堂々南紀に行脚 田辺湾に御入港の際 本県が生んだ世界的大学者南方熊楠翁は湾内神島の御案内役を勤め 又御召艦上で生物学について御進講申し上げた 神島には
- 一枝も心して吹け沖つ風 わが天皇(すめらぎ)のめてましし森そ
との翁赤誠の歌碑がある その後昭和37年 陛下は再び当地へ行幸の際 往年を御回想になり今は亡き南方翁追懐の御歌をお詠み遊ばされた
- 雨にけふる神島を見て紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ
吾等県民はこの君臣水魚の誉と南方翁の偉大なる業績を永遠に遺さんとし 風光絶佳しかも 陛下の御思出深き神島を指呼の間に望むこの地を選び常陸宮殿下の御鍬入れを賜り 総工費3600万円を投じて 昭和40年3月この記念館を完成 御製碑と両々相まって不朽の記念とした
昭和40年4月 — 南方記念館建設之碑
アクセス
[編集]周辺
[編集]- 京都大学フィールド科学教育研究センター瀬戸臨海実験所水族館(隣接)
- 円月島 - 国の名勝
- 本覚寺 - 貝寺
- 白良浜