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厚別町山本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 北海道 > 札幌市 > 厚別区 > 厚別町山本
厚別町山本
北海道札幌養護学校
北海道札幌養護学校
厚別町山本の位置(札幌市内)
厚別町山本
厚別町山本
北緯43度3分29秒 東経141度27分26.9秒 / 北緯43.05806度 東経141.457472度 / 43.05806; 141.457472
日本
都道府県 北海道
市町村 札幌市
行政区 厚別区[1]
開発開始 1909年(明治42年)
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
004-0069
市外局番 011[2]
ナンバープレート 札幌

厚別町山本(あつべつちょう やまもと)は、札幌市厚別区の地名[1]。同区内の北西端に位置し、江別市に隣接する。

西の厚別川と東の野津幌川に挟まれた、海抜10メートル以下の低地である[3]

歴史

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かつては「厚別原野」と呼ばれた泥炭地で、一年間に何度も水害に見舞われる農耕不適地だった[3]。特に1898年(明治31年)には、泥炭層が浮上したせいで水田が持ち上がり、隣の水田の上に重なってしまったという逸話が残っている[3]

1908年(明治41年)、小樽山本久右衛門が一帯の土地の払い下げを受け、翌1909年(明治42年)に「山本農場」を開設して開墾に着手した[3]。その跡を継いだ息子の山本厚三は、道路2400メートル、排水路13万7500メートルを開削し、水田約236ヘクタール、畑約38ヘクタールの開墾を成し遂げた[4]

1934年(昭和9年)4月、それまで「本田」と称していた地域の名称が、山本厚三の姓にちなんで「山本」と改められた[4]

1944年(昭和19年)、終戦後の農地改革に先駆けて、すべての土地が小作人に解放される[4]。開発50年目にあたる1958年(昭和33年)には、住民たちの寄付によって「謝恩之碑」が山本稲荷神社の境内に建てられた[4]。ただしその後の市街地化によって、山本稲荷神社の所在地は厚別西に区分されている。

施設

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脚注

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  1. ^ a b 現町名一覧-厚別区札幌市.2021年3月13日閲覧。
  2. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2021年3月13日閲覧。
  3. ^ a b c d 札幌地名考 1977, p. 80.
  4. ^ a b c d 札幌地名考 1977, p. 81.

参考文献

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外部リンク

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