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原爆小景

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

原爆小景」(げんばくしょうけい)は、原民喜の詩、および同詩を作曲した林光混声合唱組曲。

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原民喜

1950年(昭和25年)、広島原爆被爆者詩人原民喜により詩学社の「詩学」第5号に発表され[1]、翌年の1951年(昭和26年)に原の自殺後、細川書店より『原民喜詩集』として収録された[2]

詩は「コレガ人間ナノデス」「燃エガラ」「火ノナカデ 電柱ハ」「日ノ暮レチカク」「真夏ノ夜ノ河原ノミヅガ」「ギラギラノ破片ヤ」「焼ケタ樹木ハ」「水ヲ下サイ」「永遠のみどり」の9編からなる構成詩であり、原爆投下後の情景を描写しながらも、希望を見出すような作品となっている[3]

合唱組曲

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1952年(昭和27年)、東京藝術大学内で開催された「原爆の図」の移動展覧会に合わせて、林は外山雄三間宮芳生寺島尚彦らとともに「原爆の図」を囲んだコンサートを企画した。林は『原民喜詩集』を入手[3]、詩集から「永遠のみどり」を選び、演奏時間2分ほどの八重唱曲に作曲、展示会場内で初演した。これがのちの『原爆小景』の組曲化の出発点となる。

1958年(昭和33年)、東京混声合唱団(東混)の委嘱により、林は原の詩集の出版当時から「あたためていたものなんですが、この年にやっと手をつけるということになった」[4]としていた詩集から「水ヲ下サイ」を選び、単曲の混声合唱曲として作曲、同年6月の東混の定期演奏会にて『原爆小景によるカンタータ』と名付け、岩城宏之の指揮で初演された。このとき林は、「水ヲ下サイ」を第1楽章、「永遠のみどり」を第2楽章とする構想であったが、第2楽章は「どうしてもそれが書けなかった」[4]

1971年(昭和46年)、「『原爆小景』をぜひ終りまでやりたい」[4]という東混の委嘱により、「水ヲ下サイ」「日ノ暮レチカク」「夜」の全3楽章の無伴奏混声合唱組曲として発表、岩城の指揮で初演された。このときも「永遠のみどり」を最終楽章とする構想を持っていたが、「「夜」を書いているギリギリまで、できれば「永遠のみどり」までいきたいと、諦めてなかったんですが、最終的には「夜」でもって、この曲はひとかたまりということになったんですね」[4]として実現しなかった。旧版の出版譜の巻頭において「「永遠のみどり」がうたわれることで、おそろしい同時代の歴史劇である『原爆小景』は終わる、終われるのだと私は思う。だが、核の恐怖がなにひとつ解決していない今、<<ヒロシマのデルタに若葉うずまけ>>などという詩句に作曲することが可能だろうか。この15年というもの1年おきくらいに思い立って第1行めを書きはじめては、そこから先をつづけることができなかったのは、このような問いが立ちはだかるからだった」と林は胸の内を明かしている。

東混はその後、『原爆小景』を毎年演奏しようと、「八月のまつり」という演奏会を1980年(昭和55年)から毎年開催することになる。1982年(昭和57年)の「八月のまつり」に際し、「今まで考えていた『原爆小景』の最終楽章としての「永遠のみどり」とちょっと違った考え方が出てきた」[4]として、林の自作詩2編を第1楽章、第2楽章とし「永遠のみどり」を第3楽章とする『新原爆小景 あるいは平和の使徒たちのパレードと死者たちの歌』を作曲、林の指揮で初演した。もっともこれは「音楽作品としてはあまり成功してない」[4]

新しく再生する広島という詩本来の意味を込めた「永遠のみどり」が『原爆小景』の最終楽章として組み込まれ、「完結版」として発表されたのは2001年のことである[3]。「グローバル・ピース・フェスティバル愛知」の委嘱により作曲され、同年8月5日に作曲家本人の指揮、同フェスティバル参加合唱団により初演された。

曲目

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「完結版」は全4楽章からなる。全編無伴奏である。終曲以外はプロ合唱団のために書かれた経緯もあり、全音楽譜出版社の楽譜紹介では難易度は「上級」とされている[5]

  1. 水ヲ下サイ
    詩集の同名の詩の最初の19行に作曲された。混声四部だが、全パートにdiv.が指定され部分的に八部となる。部分的に無調風の経過句があるとはいえ、主要部分では変ロ短調調性が確保されている[6]
  2. 日ノ暮レチカク
  3. 第2楽章は詩集の同名の詩に、第3楽章は6篇の詩からの抜粋と短編小説「鎮魂歌」からの文章を組み合わせ、3人のナレーターと混声合唱とが交錯する。混声十六部。作風が一変して、トーンクラスターおよび<音列作法によらない>自由で不規則な無調音楽とが混在するが、能(謡曲)の音楽に似た五音音階がそこへ介入して抽象化を押し止め、絵巻物的地獄図として定着されている。ヒェロニモス・ボスやピカソ(「ゲルニカ」)のように[6]
  4. 永遠のみどり
    詩集の同名の詩に作曲された。混声四部+div。ふたたび調性の世界があらわれる。ゆたかなグレゴリオ聖歌の模倣からはじまるこの章は、けれども「水ヲ下サイ」への単なる回帰ではなく、反転する色彩=補色を用いたひとつの乗り越え=止揚である[6]

1982年の「新原爆小景」は全3楽章であり、ピアノ、打楽器を伴う。

  1. パレード
  2. 貝の歌
  3. 永遠のみどり
    「永遠のみどり」は「完結版」とは同じ詩を用いながら曲は大きく異なる。「字面からみると、広島の新しい再生、核にまつわるいろんな悲劇が解決されて、新しく再生する広島というイメージなんですけど、現実はどう考えてもそうじゃない。「永遠のみどり」をと祈りみたいに歌うのかなと、ぼく自身も思っていたんですけど、そうじゃなくて悲鳴じゃないか、再生する広島のイメージは今やその反対へと行っている、それに対する悲鳴というか、絶叫としてしか歌えないんじゃないかというところから始まって、それを最後の部分にして、その前にいろんなものを置くという形で書いたんです。(中略)ぼくとしては、書いておかないと困る、というようなものでした」[4]

楽譜

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全音楽譜出版社から出版されている。「完結版」が2003年に刊行された際に、旧版は絶版となっている。「新原爆小景」は未出版。

脚注

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  1. ^ 『詩学』詩学社、1950年6月29日発売第5号。
  2. ^ 『原民喜詩集』細川書店、1951年、67-80頁。
  3. ^ a b c 林光作曲「原爆小景」半世紀 表現者のあり方自問 朝日新聞デジタル、2009年8月3日配信。
  4. ^ a b c d e f g 『ハーモニー』90号 p.6~
  5. ^ [1]全音オンラインショップ。同サイトでは難易度を5段階で表記していて、「上級」は最高難度である。
  6. ^ a b c 「完結版」出版譜の解説。

参考文献

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  • 「日本の作曲家シリーズ6 林光」(『ハーモニー』No.90、全日本合唱連盟、1994年)

関連項目

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外部リンク

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