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原田三夫 (科学ジャーナリスト)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原田 三夫
(はらだ みつお)
アサヒグラフ』1953年9月9日号
誕生 (1890-01-01) 1890年1月1日
日本の旗 日本 愛知県名古屋市
死没 (1977-06-13) 1977年6月13日(87歳没)
職業 編集者ジャーナリスト
言語 日本語
国籍 日本の旗 日本
最終学歴 東京帝国大学
ジャンル 自然科学
子供 前谷惟光
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原田 三夫(はらだ みつお、1890年明治23年)1月1日 - 1977年昭和52年)6月13日[1][2])は、日本の科学ジャーナリスト[3]、教員。科学雑誌や科学の啓蒙書の編集者・作家[4]。『子供の科学』初代編集長[3]。漫画家前谷惟光の父[5]

1890年(明治23年)1月1日、名古屋に生まれる[1]。1907年東北帝国大学予科入学、1910年中退[6]第八高等学校 (旧制)を経て[7]、東京帝国大学理科大学(後の東京大学理学部)を卒業[2]東京府立第一中学校で教員を務める[2]かたわら翻訳に携わる[8]。教職を辞めた後、科学雑誌『子供と科学』(1917年)、『少年科学』(1917年)、『科学画報』(1923年)、『子供の科学』(1924年)を次々と創刊[8]

疎開先の北海道で小熊捍と共に出版社子供の国を創業[9]

1953年(昭和28年)、日本宇宙旅行協会[10]を創設[1][11]、1955年、理事長に就任[1]

1964年(昭和39年)日本宇宙旅行協会を引退し、千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)に隠棲する[1]

1977年昭和52年)6月13日死去[1]

日本宇宙旅行協会の理事長だった際に、広報活動の一環として「火星土地分譲予約受付証」を発行したことで知られる。映画『火星のわが家』の神山康平のモデルともなっている[12]

出典

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  1. ^ a b c d e f 原田 三夫」『20世紀日本人名事典』https://kotobank.jp/word/%E5%8E%9F%E7%94%B0%20%E4%B8%89%E5%A4%ABコトバンクより2020年6月13日閲覧 
  2. ^ a b c 西田光男「パラサイエンティフィック-原田三夫先生のこと-」『生産と技術』 -Vol.30, No.1- (1978年 新春号)
  3. ^ a b ブックウオッチング:『子供の科学』 土舘建太郎・編集長 毎日新聞2017年2月1日 東京朝刊
  4. ^ 羽原清雅「続・ある編集者の軌跡-「中山泰昌(三郎)」の豊かな苦闘-」『帝京社会学』第22巻、八王子 : 帝京大学文学部社会学科、2009年3月、1-32頁、CRID 1050282812953280640hdl:10682/190ISSN 09147985 
  5. ^ 前谷惟光」『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』https://kotobank.jp/word/%E5%89%8D%E8%B0%B7%E6%83%9F%E5%85%89コトバンクより2020年6月13日閲覧 
  6. ^ 廣瀬公彦「札幌農学校予修科・東北帝国大学農科大学大学予科の入学者の志望動機と受験生活」『北海道大学大学文書館年報』第16巻、北海道大学大学文書館、2021年3月、1-22頁、CRID 1050288137384871424hdl:2115/81439ISSN 18809421 
  7. ^ 週刊朝日編『青春風土記 旧制高校物語3』(朝日新聞社、1979年)p.58
  8. ^ a b 高田誠二 科学雑誌の戦前と戦後
  9. ^ リテラポプリ24号 杉山滋郎「戦前・戦後を駆け抜けた「科学コミュニケーター」原田三夫」
  10. ^ 1954年、国際宇宙航行連盟に加入。1975年に日本宇宙飛行協会と改称。なお、2009年に設立されたNPO法人「日本宇宙旅行協会」とは無関係。
  11. ^ 高橋良平 天下御免的断続SF話 その2 2014年4月3日
  12. ^ 大嶋拓. “日本宇宙旅行協会と原田三夫”. タクラマネット. 2020年6月13日閲覧。