原田浩平
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名前 | ||||||
愛称 | こうへい | |||||
ラテン文字 | Kohei HARADA | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年6月25日(41歳) | |||||
出身地 | 日本・大阪府大阪市 | |||||
身長 | 175cm | |||||
体重 | 70kg | |||||
利き足 | 右 | |||||
ユース | ||||||
大阪体育大学 | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | リンドバロッサ | |||||
2007-2017 | デウソン神戸 | |||||
2017-???? | バサジィ大分 | |||||
代表歴 | ||||||
2008- | 日本代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
原田 浩平(はらだ こうへい、1983年6月25日 - )は、大阪府・大阪市出身のフットサル選手。ポジションはピヴォ。フットサル日本代表。
経歴
[編集]小学5年生時にサッカーを始め、主に左サイドハーフやトップ下としてプレー。スポーツ推薦で清風高校に進学し、高校ではキャプテンを務めた。大阪体育大学でもサッカー部に所属していたが、友人に誘われて4年時にフットサルをはじめ、大学卒業後にはブラジル・サンパウロ州に短期留学してプロフットサルチームの練習に参加[1]。帰国後には京都府1部リーグのリンドバロッサに所属し、フットサル場のアルバイトをしながら泉佐野市内に住んでいた。
2007年のFリーグ発足が決定すると、リンドバロッサ・セレゾン神戸(兵庫県)・セレゾン浜松(静岡県)の3チームが提携し、デウソン神戸を設立してFリーグに参加。清風高等学校時代の先輩だったデウソン神戸GMの上永吉英文に声を掛けられてデウソン神戸とプロ契約を交わし、デウソン神戸の練習場に近い神戸市のポートアイランドに移り住んだ[1]。2007-08シーズンにはベスト5。2008年にはフットサル日本代表として2008 AFCフットサル選手権に出場。2008-09シーズンは1月中旬までに17試合出場15得点で得点ランキング2位につけていたが、1月18日のステラミーゴいわて花巻戦で左膝前十字靱帯を負傷。2008-09シーズンの得点ランキングはバルドラール浦安の稲田祐介に次ぐ2位(タイ)だった。手術を受けて約9ヶ月間チームから離脱し[2]、2009-10シーズンの3順目にようやく復帰した。
2010-11シーズンからはキャプテン。2015年5月31日の府中アスレティックFC戦で200試合出場(200試合登録)を達成[3]。Fリーグ史上12人目。
所属クラブ
[編集]サッカー
[編集]フットサル
[編集]タイトル
[編集]- Fリーグ ベスト5 : 2007-08, 2008-09
代表選出歴
[編集]- フットサル日本代表(2008年、2009年、2010年)
個人成績
[編集]国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | オーシャン杯 | 全日本選手権 | 期間通算 | |||||||
2007-08 | 神戸 | 7 | Fリーグ | 18 | 13 | ||||||
2008-09 | 17 | 15 | |||||||||
2009-10 | ?? | ?? | |||||||||
2010-11 | ?? | ?? | |||||||||
2011-12 | 27 | 8 | |||||||||
2012-13 | 27 | 9 | |||||||||
2013-14 | 32 | 9 | |||||||||
2014-15 | 29 | 10 | |||||||||
2015-16 | |||||||||||
通算 | 日本 | Fリーグ | |||||||||
日本 | |||||||||||
総通算 |
脚注
[編集]- ^ a b 得点王へ けがけっ飛ばせ 原田浩平(フットサル) 朝日新聞 2009年1月22日
- ^ vol.28 原田浩平(フットサル選手) 橋本英郎 2010年12月2日
- ^ 原田浩平選手(神戸)Fリーグ通算200試合出場達成 Fリーグ 2015年6月1日