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比嘉リカルド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
比嘉 リカルド
名前
カタカナ ヒガ リカルド
ラテン文字 HIGA Rikarudo[1]
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1973-05-04) 1973年5月4日(51歳)
出身地 サンパウロ州カンピーナス
身長 175cm
体重 72kg
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1991 ブラジルの旗 コリンチャンス
1992 ブラジルの旗 リオ・ブランコ
1994 ブラジルの旗 サンタ・エレーナ
1995 ブラジルの旗 アプカラナ・ド・パラナ
1998 日本の旗 矢板SC
1999 日本の旗 アルビレックス新潟 34 (6)
2000 日本の旗 沖縄かりゆしFC
2003-2006 日本の旗 FC琉球
2007-2008 日本の旗 名古屋オーシャンズ
2008-2009 日本の旗 デウソン神戸
2009 日本の旗 マリオフットサルスクール
通算 34 (6)
代表歴
2004-2008  日本フットサル
監督歴
2009-2012 日本の旗 デウソン神戸
2012-2015 日本の旗 ヴォスクオーレ仙台
2018-2020 日本の旗 シュライカー大阪
2021- 日本の旗 立川アスレティックFC
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

比嘉 リカルド(ひが リカルド、1973年5月4日 - )は、ブラジルサンパウロ州カンピーナス出身の元サッカー選手、元フットサル選手、フットサル指導者。2003年に日本帰化。帰化以前の登録名はリカルド (Ricardo)[2]

経歴

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日本の沖縄県にルーツを持つ日系3世であり、1997年春に日本に渡った。栃木県社会人リーグ1部の矢板SC(現・ヴェルフェ矢板)に入団し、同クラブの関東リーグ昇格に貢献。1999年にはJ2アルビレックス新潟に移籍した。

その後は、FC琉球など自らのルーツである沖縄のクラブでサッカー選手として活動しつつ、ブラジル時代から慣れ親しんできたフットサルの選手としても活躍。2003年8月に日本に帰化し、フットサル日本代表ビーチサッカー日本代表に選出されている。

2008年からはデウソン神戸でプレーしたが、オフに退団した[3]

2009年12月よりデウソン神戸の監督に就任した[4]。2012年3月に退任。

2012年、東北地域リーグ1部所属のヴォスクオーレ仙台の監督に就任。その後チームをFリーグに導くが、Fリーグ1年目を終えた2015年3月に退任。

2018年1月23日、シュライカー大阪の監督に就任した[5]

家族

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いとこのファブリシオ・オーヤもサッカー選手[6]

所属クラブ

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個人成績

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国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
1999 新潟 9 J2 34 6 2 0 3 2 39 8
2003 琉球 沖縄県3部北 - -
2004 沖縄県1部 -
2005 九州 -
2006 10 JFL 17 2 - -
通算 日本 J2 34 6 2 0 3 2 39 8
日本 JFL 17 2 -
日本 九州 -
総通算

記録

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ハットトリック

指導歴

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脚注

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  1. ^ 比嘉リカルドFIFA主催大会成績 ウィキデータを編集
  2. ^ 比嘉リカルド - J. League Data Siteによる選手データ (日本語) ウィキデータを編集
  3. ^ 【お知らせ】選手退団のお知らせ[リンク切れ] デウソン神戸公式サイト 2009年4月1日付プレスリリース
  4. ^ 【お知らせ】新監督就任のお知らせ[リンク切れ] デウソン神戸 2009年12月26日付プレスリリース
  5. ^ 新監督就任のお知らせ』(プレスリリース)シュライカー大阪、2018年1月23日http://shriker.osaka.jp/new/%e6%96%b0%e7%9b%a3%e7%9d%a3%e5%b0%b1%e4%bb%bb%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/2019年8月6日閲覧 
  6. ^ ブラジルの名門クラブで挑む 県系4世ファブリシオ・オオヤさんと平安山良太さん”. 沖縄タイムス+ (30 August 2016). 4 March 2020閲覧。

関連項目

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外部リンク

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