原田種夫
表示
原田 種夫(はらだ たねお、1901年(明治34年)2月16日 - 1989年(平成1年)8月15日)は日本の小説家、詩人。本名は種雄(たねお)。
略歴
[編集]- 1901年(明治34年)2月16日-福岡県福岡市春吉にて出生する。1921年(大正10年)に西南学院中学部を卒業し、法政大学予科英文科を中退する。
- 1928年(昭和3年)-山田牙城らと詩誌『瘋癲病院』発行する。以来、個人誌『銛』、詩誌『先発隊』、『九州詩壇』、『九州芸術』を次々に創刊する。
- 1938年(昭和13年)-火野葦平、劉寒吉らと第二期『九州文学』を発刊する(昭和58年休刊)。
- 1939年(昭和14年)-『風塵』で第10回芥川賞予選候補になる。
- 1940年(昭和15年)-『闘銭記』で第1回九州文学賞(小説部門)を受賞する。
- 1943年(昭和18年)-『家系』で第18回直木賞候補になる。
- 1953年(昭和28年)-『南蛮絵師』で第30回直木賞候補になる。
- 1954年(昭和29年)-『竹槍騒動異聞』で第32回直木賞候補になる。
- 1972年(昭和48年)-西日本文化賞を受賞する。
- 1976年(昭和51年)-福岡市文化賞を受賞する。
- 1989年(平成1年)8月15日-死去、88歳。
著書
[編集]- 『博多方言』(文林堂、1956)
- 『名作のふるさと』(読売新聞九州総局、1956)
- 『西日本文壇史』(文画堂、1958)
- 『南国のエロス』(新潮社、1958)
- 『実説・火野葦平―九州文学とその周辺』(大樹書房、1961)
- 『九州の旅』(社会思想研究会出版部、1961)
- 『人形と共に六十五年―小島与一伝』(人形と共に六十五年刊行委員会、1962)
- 『一ツ瀬ダムとその周辺』(ジャパン・コンサルタント・ルーム、1963)
- 『エロスの教養―南国風俗誌』(弘文堂、1966)
- 『二宮佐天荘主人四島一二三伝』(福岡相互銀行、1966)
- 『原田種夫全詩集』(原田種夫全詩集刊行会、1967)
- 『臼杵石仏とその周辺』(西日本観光出版社、1967)
- 『九州の民話』(積文館書店、1969)
- 『さすらいの歌』(新潮社、1972 日本図書センター、1990)(江口章子の生涯)
- 『記録九州文学〈創作篇〉「九州文学」小史』(梓書院、1974)
- 『黎明期の人びと―西日本文壇前史』(西日本新聞社、1974)
- 『筑紫路』(保育社、1978)
- 『あすの日はあすの悦び』(財界九州社、1981)
- 『べにうし―玩具の本』(村田書店、1981)
- 『黒田騒動 上下』(ニュートンプレス、1982)
- 『九州方言考―ことばの系譜』(読売新聞社、1982)
- 『ペンの悦び』(西日本新聞社、1983)
- 『原田種夫全集5巻』(国書刊行会、1983)
- 『乱世梟商記』(叢文社、1986)
- 『九州文壇日記』志村有弘編集(叢文社、1991)
共著
[編集]- 『筑前のわらべ遊び』郡憲輔共著(梓書院、1973)
編集
[編集]- 『加藤介春全詩集』山田牙城共編(学灯社、1969)
- 福岡文化連盟『画文集博多―明治・大正から昭和へ』伊藤研之共編(創言社、1972)
- 『緒方隆士小説集』(梓書院、1974)
- 筑紫豊『博多ダイジェスト―福岡の昨日今日明日』富田晃弘共編、三宅酒壺洞 (福岡市観光協会、1975)
碑
[編集]福岡市博多区中洲(西大橋たもと)に文学碑が建立されている。[1]
参考文献
[編集]- 『現代物故者事典1988-1990』(日外アソシエーツ、1993)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 直木賞のすべて-原田種夫 - ウェイバックマシン(2001年2月10日アーカイブ分)
- 西日本新聞-千年書房・九州の100冊-原田種夫「九州文壇日記」
- 九州文学(昭和13年・1938年9月創刊。現在は第七期。原田は創刊時メンバーである)