原由樹夫
原由樹夫 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 岡山県 |
生年月日 | 1952年11月21日(72歳) |
血液型 | O |
選手情報 | |
所属 | 岡山支部 |
登録番号 | 2585 |
登録期 | 33期 |
選手実績 | |
選手引退日 | 2016年 |
主要獲得タイトル | |
|
原 由樹夫(はら ゆきお、1952年11月21日 - )は、岡山県出身の元ボートレーサー。
来歴
[編集]黒明良光が立ち上げた岡山支部所属の選手によるプロペラ研究グループである「イーグル会」[1]には所属せず、「イレブン」グループに属し、後輩には田口節子がいた[2]。
万谷章・古谷猛[3]と共に「一般戦の鬼」で、往年のボート王国・岡山を支え[4]、年齢を重ねても衰えることなく息の長い活躍が光った[5]。通算では265回の優出で優勝は42回を数え、SGには全日本選手権競走に4回、総理大臣杯競走に2回、グランドチャンピオン決定戦競走に1回出場したが、GIの出場機会は少なく、優出が1回、優勝には届かなかった[5]。
1997年7月31日の児島GIII企業杯「ナカシマプロペラカップ」で林通・井川大作・原田順一を抑えて逃げ切り[6]、2004年5月16日の丸亀一般戦「報知グリーンカップ」で山室展弘らを抜いて[7]最後の優勝を飾る。
2015年1月21日の三国一般戦「むつき第2戦」[8]が最後の優出となり、同年11月には引退を考えたが、家族から「お正月にみんなの顔を見てからにすれば」と言われて2016年1月に決める[4]。
最後に出場した児島一般戦「第42回岡山県モーターボート選手権大会」では2年連続グランプリファイナリストの茅原悠紀ら若手強豪レーサーが集結した中、最年長でもある63歳の原は思い切ったコース取りを見せて[9]予選を突破し、準優まで進出[4]。現役最後のレースは同7日の最終日10R特別選抜B戦の2号艇で出場し、枠なり進入で2コースから差し切って[10]シリーズ4勝目を挙げ、通算2135勝目で締め括った[4]。
「みんなに気を遣わせとうない」という強い希望で引退はごく一部の関係者にしか知らせておらず、レース後はピット内でささやかに水神祭が行われ、選手を代表して茅原も花束を贈呈。写真撮影時は「ヘルメットを持ってきて~」と叫ぶ原に応え、吉田拡郎が素早く駆け出し、仮面ライダー仕様のヘルメットを手渡す場面もあった[4]。
脚注
[編集]- ^ 【艇王・植木通彦 ボートレース人国記】岡山の重鎮・黒明良光氏の“ダイナミックな逃げ”も魅力! 林貢氏はどのコースからも対応
- ^ 競艇プロペラ人脈・岡山
- ^ Untitled
- ^ a b c d e 【ボート】63歳・原由樹夫が電撃引退/ボートレース/デイリースポーツ online
- ^ a b イン屋・原由樹夫が引退 | ボートレース(競艇)【マクール】
- ^ 1997年7月31日 児島 12R | 艇国データバンク
- ^ 2004年5月16日 丸亀 12R | 艇国データバンク
- ^ 2015年1月21日 三国 12R | 艇国データバンク
- ^ 予選トップ通過は茅原悠紀! | ボートレース(競艇)【マクール】
- ^ 2016年1月7日 児島 12R | 艇国データバンク