及川美喜男
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮城県登米市 |
生年月日 | 1959年9月18日(65歳) |
身長 体重 |
180 cm 88 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1981年 ドラフト6位 |
初出場 | 1983年4月12日 |
最終出場 | 1988年5月28日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
この表について
|
及川 美喜男(おいかわ みきお、1959年9月18日 - )は、宮城県柴田町出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。
来歴・人物
[編集]東北高では1977年に、同期のエース佐々木淳を擁し、左翼手として春の選抜に出場。2回戦で丸亀商に敗れる[1]。同年夏の県予選でも決勝に進むが、佐々木が肩を故障し、1年下の薄木一弥(電電東北)が先発。仙台育英の後に広島で同僚となる大久保美智男に、延長12回の接戦の末0-1で完封を喫し、甲子園出場を逸する。
高校卒業後は、社会人野球の東芝に入社。都市対抗では試合出場がないが、秋の日本選手権では出場。
1981年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから6位指名を受け入団[2]。
1983年に一軍デビューを果たし中堅手として2試合に先発出場を果たすが、結果を残せなかった。1985年にはウエスタンリーグで17本塁打を打ち、本塁打王を獲得[2]。しかし、同年は一軍での出場はなく、1986年11月に金銭トレードで日本ハムファイターズに移籍[2]。
1987年4月に、一軍初安打を本塁打で記録。同年は代打、守備固め等を中心に72試合に出場するが、1988年には出場機会が減り同年限りで現役を引退[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983 | 広島 | 10 | 12 | 11 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 5 | 0 | .000 | .083 | .000 | .083 |
1984 | 4 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
1987 | 日本ハム | 72 | 34 | 30 | 15 | 8 | 1 | 0 | 1 | 12 | 2 | 4 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | 0 | 8 | 1 | .267 | .333 | .400 | .733 |
1988 | 27 | 10 | 10 | 3 | 3 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | .300 | .300 | .400 | .700 | |
通算:4年 | 113 | 59 | 54 | 20 | 11 | 2 | 0 | 1 | 16 | 2 | 5 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 0 | 15 | 3 | .204 | .259 | .296 | .555 |
記録
[編集]- 初出場:1983年4月12日、対阪神タイガース1回戦(広島市民球場)、5回裏に小川邦和の代打として出場
- 初打席:同上、5回裏に伊藤宏光の前に三振
- 初先発出場:1983年4月22日、対横浜大洋ホエールズ1回戦(広島市民球場)、7番・中堅手として先発出場
- 初安打・初打点・初本塁打:1987年4月19日、対南海ホークス3回戦(大阪スタヂアム)、9回表に岡持和彦の代打、中村弘道から左越ソロ
背番号
[編集]- 45(1982年 - 1986年)
- 33(1987年 - 1988年)
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 及川美喜男 - NPB.jp 日本野球機構