伊藤文隆
光泉カトリック高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 愛知県名古屋市中村区 |
生年月日 | 1954年5月11日(70歳) |
身長 体重 |
182 cm 73 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1977年 ドラフト1位 |
初出場 | 1978年4月15日 |
最終出場 | 1991年10月14日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
監督・コーチ歴 | |
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この表について
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伊藤 文隆(いとう ふみたか、1954年5月11日 - )は、日本の元プロ野球選手(投手)、野球解説者。愛知県名古屋市中村区出身[1]。プロ選手としては、阪神タイガースに所属した。
社会人野球時代の1972年から1978年までは「伊藤 弘利」(いとう ひろとし)、1979年から1985年までは「伊藤 宏光」(いとう ひろみつ)の登録名でプレーした。
来歴・人物
[編集]大同工業高校では、エースとして1972年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、中京高の金本誠吉と投げ合い敗退。同年のプロ野球ドラフト会議で中日から5位指名を受けるも入団を拒否。その後、明治大学に進学するも中退。
社会人野球の三協精機に入社。1977年の都市対抗では1回戦で愛知トヨタに完投勝利。2回戦で電電東京に0-1で敗退[2]するが、その好投に注目が集まる。
1977年のドラフトで阪神から1位指名を受け入団。右腕からの速球を武器に1981年からローテーション入りを果たし1982年には10勝を挙げる活躍を見せる。
1988年は、前年の1987年を白星なしの9連敗でシーズンを終えたことから、背番号を14に変更して臨み、開幕から2戦2完封勝利と好調であった。しかし4月27日の大洋戦において池之上格の放った一塁ゴロで、一塁ベースカバーに入った際、池之上にスパイクされ右踵を裂傷。以後成績が振るわず、1991年に現役引退。打撃では1987年9月9日の甲子園でのヤクルト戦で本塁打を記録している。
引退後は、サラリーマンとしてアパレル企業のトレンザで営業職を務める[3]。1996年以降は、サンテレビとABCラジオ(2009年から)の野球解説者として活動していた。1995年から1998年までは日刊スポーツ野球評論家も務めた。ゴーストライターに頼らない貴重な評論家として野球名鑑に紹介されたこともある[1]。
2008年には社会人野球クラブチーム・トータル阪神の監督へ就任。2009年には第34回全日本クラブ野球選手権大会で優勝している。2010年12月、球団本部付職員として阪神に復帰[4]。球団本部チーム運営担当として、新人・若手選手やリハビリ中の選手のサポートなどを担当。2012年12月末で退団[5]。
2014年は独立リーグのBASEBALL FIRST LEAGUE加盟球団の姫路GoToWORLDの監督を務めた[8]。
2020年からは滋賀県の光泉高校(2021年より光泉カトリック高校)の野球部の監督を務める[9]。
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1978 | 阪神 | 18 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 191 | 40.1 | 58 | 14 | 14 | 0 | 2 | 21 | 0 | 0 | 35 | 34 | 7.65 | 1.79 |
1979 | 23 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | -- | .250 | 247 | 53.1 | 68 | 4 | 18 | 1 | 2 | 29 | 3 | 0 | 35 | 29 | 4.92 | 1.61 | |
1980 | 21 | 16 | 2 | 0 | 0 | 4 | 6 | 0 | -- | .400 | 392 | 94.0 | 86 | 10 | 25 | 1 | 3 | 49 | 0 | 1 | 49 | 40 | 3.83 | 1.18 | |
1981 | 33 | 23 | 4 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 606 | 147.0 | 148 | 15 | 31 | 3 | 2 | 89 | 0 | 0 | 72 | 60 | 3.67 | 1.22 | |
1982 | 27 | 26 | 2 | 1 | 0 | 10 | 10 | 0 | -- | .500 | 673 | 158.2 | 164 | 13 | 42 | 5 | 3 | 84 | 2 | 0 | 70 | 58 | 3.28 | 1.30 | |
1983 | 35 | 18 | 2 | 0 | 0 | 6 | 7 | 1 | -- | .462 | 513 | 116.0 | 141 | 21 | 32 | 2 | 4 | 61 | 2 | 0 | 69 | 67 | 5.20 | 1.49 | |
1984 | 32 | 25 | 3 | 0 | 0 | 4 | 11 | 2 | -- | .267 | 660 | 150.2 | 171 | 24 | 52 | 4 | 5 | 80 | 1 | 1 | 89 | 81 | 4.84 | 1.48 | |
1985 | 25 | 16 | 3 | 0 | 0 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 488 | 115.2 | 123 | 16 | 39 | 1 | 1 | 59 | 3 | 1 | 63 | 58 | 4.51 | 1.40 | |
1986 | 29 | 25 | 4 | 1 | 1 | 8 | 8 | 0 | -- | .500 | 586 | 139.0 | 142 | 20 | 33 | 3 | 3 | 83 | 3 | 1 | 74 | 69 | 4.47 | 1.26 | |
1987 | 19 | 13 | 1 | 0 | 1 | 0 | 9 | 0 | -- | .000 | 329 | 73.0 | 89 | 15 | 26 | 1 | 3 | 45 | 0 | 0 | 48 | 46 | 5.67 | 1.58 | |
1988 | 6 | 4 | 2 | 2 | 0 | 2 | 0 | 0 | -- | 1.000 | 116 | 28.1 | 15 | 0 | 17 | 1 | 1 | 17 | 1 | 0 | 2 | 2 | 0.64 | 1.13 | |
1989 | 27 | 15 | 2 | 0 | 1 | 3 | 8 | 0 | -- | .273 | 464 | 108.0 | 110 | 6 | 35 | 5 | 5 | 52 | 0 | 2 | 58 | 51 | 4.25 | 1.34 | |
1990 | 24 | 9 | 1 | 1 | 0 | 2 | 4 | 0 | -- | .333 | 307 | 67.1 | 84 | 10 | 35 | 6 | 2 | 35 | 3 | 0 | 43 | 40 | 5.35 | 1.77 | |
1991 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 4 | 1.0 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1 | 1 | 9.00 | 1.00 | |
通算:14年 | 320 | 199 | 26 | 6 | 4 | 54 | 81 | 4 | -- | .400 | 5576 | 1292.1 | 1400 | 169 | 399 | 33 | 36 | 705 | 18 | 6 | 708 | 636 | 4.43 | 1.39 |
- 各年度の太字はリーグ最高
記録
[編集]- 初登板:1978年4月15日、対中日ドラゴンズ1回戦(ナゴヤ球場)、8回裏に2番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に高木守道から
- 初勝利:1978年4月22日、対ヤクルトスワローズ3回戦(阪神甲子園球場)、4回表1死に2番手で救援登板・完了、5回2/3を無失点
- 初先発:1978年5月24日、対ヤクルトスワローズ5回戦(阪神甲子園球場)、6回3失点で敗戦投手
- 初セーブ:1979年7月31日、対ヤクルトスワローズ16回戦(阪神甲子園球場)、6回表2死に2番手で救援登板・完了、3回2/3を無失点
- 初先発勝利:1980年7月27日、対読売ジャイアンツ16回戦(阪神甲子園球場)、8回2/3を1失点
- 初完投:1980年9月20日、対ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)、8回1失点で敗戦投手
- 初完投勝利:1980年10月1日、対横浜大洋ホエールズ25回戦(阪神甲子園球場)、9回1失点
- 初完封勝利:1981年9月5日、対ヤクルトスワローズ22回戦(明治神宮野球場)
- 1000投球回数:1986年9月5日、対中日ドラゴンズ23回戦(ナゴヤ球場)、8回裏1死目に達成
- 初本塁打:1987年9月9日、対ヤクルトスワローズ22回戦(阪神甲子園球場)、2回裏に阿井英二郎から2ラン
背番号
[編集]- 20 (1978年 - 1987年)
- 14 (1988年 - 1991年)
- 37 (2014年)
登録名
[編集]- 伊藤 弘利 (いとう ひろとし、1978年)
- 伊藤 宏光 (いとう ひろみつ、1979年 - 1985年)
- 伊藤 文隆 (いとう ふみたか、1986年 - 1991年、2014年)
関連情報
[編集]出演番組
[編集]- サンテレビボックス席
- ABCフレッシュアップベースボール - 阪神以外への在籍経験はないものの、オリックス主催試合の裏送りへの出演が多かった。
脚注
[編集]- ^ a b 『'98プロ野球12球団全選手百科名鑑』P202に掲載の解説者名鑑。
- ^ 「都市対抗野球大会60年史」日本野球連盟 毎日新聞社 1990年
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2000』P215に掲載の解説者名鑑。
- ^
- 阪神 OB伊藤氏がフロント入り - スポニチ Sponichi Annex 野球 2010年12月1日
- 伊藤氏が阪神フロント入り - 野球 - SANSPO.COM 2010年12月1日(リンク先は、インターネットアーカイブ2010年12月4日付保存キャッシュ)
- ^ 伊藤文隆氏の退団を発表 - 『デイリースポーツ online』2012年12月28日。同日付の阪神側からの人事が報じられている。
- ^ 『12球団全選手カラー百科名鑑2013』P268にサンテレビ解説者として、伊藤のプロフィールが掲載。
- ^ 『サンテレビボックス席』2013年度公式サイト内解説者・アナウンサーリスト
- ^ 兵庫)新独立リーグに姫路の球団 元阪神・伊藤氏が監督
- ^ “元阪神V戦士、伊藤文隆監督率いる光泉カトリックが“初陣”夏1勝/滋賀”. 日刊スポーツ. (2021年7月12日) 2021年10月14日閲覧。
参考資料
[編集]- 『プロ野球12球団全選手百科名鑑』→『12球団全選手カラー百科名鑑』シリーズバックナンバー
- '98プロ野球12球団全選手百科名鑑(雑誌『ホームラン』1998年3月号増刊。1998年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 12球団全選手カラー百科名鑑2000(雑誌『ホームラン』2000年3月号増刊。2000年3月31日、日本スポーツ出版社発行)
- 12球団全選手カラー百科名鑑2013(2013年2月25日発売・発行、廣済堂出版)ISBN 4331802213
関連項目
[編集]- 愛知県出身の人物一覧
- 阪神タイガースの選手一覧
- 姫路GoToWORLDの選手一覧
- 伊藤史隆(いとう しりゅう) - ABCラジオ解説者時代に実況担当として共演していたABCアナウンサーで、同じ名古屋市出身。本名は「のぶたか」と読むが、「ふみたか」と読まれやすいのと伊藤文隆の「宏光」からの登録名変更もあってか、放送上は音読みにしている。
外部リンク
[編集]- 個人年度別成績 伊藤文隆 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)
- 2007年当時、『サンテレビボックス席』公式サイト内に掲載された、伊藤のプロフィールページ - インターネットアーカイブ2007年7月8日付保存キャッシュ