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口羽元衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
口羽元衡
時代 江戸時代初期
生誕 慶長9年(1604年
死没 寛永12年12月2日1636年1月9日
別名 通称:清吉→半右衛門尉
主君 毛利秀就
長州藩
氏族 大江姓毛利氏庶流口羽氏
父母 父:口羽元良、母:豊臣秀吉の侍女
養父:口羽元智(父・元良の弟)
兄弟 女(志道元幸室)、元延、女(沓谷元綱室)、
女(椙杜就幸室)、元衡、女(口羽元智養女、井原就忠室)、女(財満元直室)、児玉就時
正室:末兼続忠の娘
継室:井原元応の娘
就之、女(桂就将室)
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口羽 元衡(くちば もとひら)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣で長州藩士。父は口羽元良。叔父・口羽元智の養子となる。

生涯

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慶長9年(1604年)に毛利氏家臣である口羽元良の次男として生まれ、嗣子のいない叔父・元智の養子となる。

慶長19年(1614年3月5日毛利輝元加冠状を受けて元服し、「元」の偏諱を与えられて「元衡」と名乗った。

寛永3年(1626年4月10日に養父・元智が死去[1]したためその後を継ぐ。寛永4年(1627年1月1日毛利秀就から「半右衛門尉」の官途名を与えられ、同年2月17日に父・元智の所領である長門国美祢郡伊佐村329石と周防国玖珂郡久原村121石の合計450石の地を相続した。

寛永12年(1635年12月2日伊勢国桑名において32歳で病死。嫡男の就之が後を継いだ。

脚注

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  1. ^ なお、元智の死の6日前である寛永3年(1626年)4月4日には、元衡の兄・元延も死去している。

参考文献

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  • 萩藩閥閲録』巻32「口羽衛士」
  • 防長新聞社山口支社編 編『近世防長諸家系図綜覧』三坂圭治監修、防長新聞社、1966年3月。 NCID BN07835639OCLC 703821998全国書誌番号:73004060 国立国会図書館デジタルコレクション