古賀ゴルフ・クラブ
古賀ゴルフ・クラブ Koga Golf Club | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
所在地 |
日本 福岡県古賀市鹿部1310-1番地 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
概要 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
開業 | 1926年(大正15年)5月9日 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営 | メンバーシップコース | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
設計 | 上田 治 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
運営者 | 古賀ゴルフ土地株式会社 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
トーナメント |
・1940年 第15回 日本プロゴルフ選手権大会 ・1961年 第29回 日本プロゴルフ選手権大会 ・1997年 第62回 日本オープンゴルフ選手権競技大会 ・2008年 第73回 日本オープンゴルフ選手権競技大会 ・2019年 第84回 日本オープンゴルフ選手権競技大会 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
コース | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
その他 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
公式サイト | 古賀ゴルフ・クラブ |
古賀ゴルフ・クラブ(こがゴルフクラブ)は、福岡県古賀市鹿部に広がるゴルフ場である。
概要
[編集]古賀ゴルフ・クラブは、かつては、福岡県小郡市大保に、1926年(大正15年)5月9日、9ホール、2,800ヤード、パー36規模のゴルフ場が開場した「福岡ゴルフ倶楽部大保コース(1944年閉鎖、設計 川崎保[1])」が前身である。九州では、雲仙ゴルフ場に次ぐ第2番目に開場のゴルフ場である[1]。
1934年(昭和9年)10月、コース設計を赤星六郎に依頼し9ホールを増設、18ホールとなった[2]。1940年(昭和15年)9月、第15回 日本プロゴルフ選手権大会が開催[3]された。1944年(昭和19年)、陸軍被覆廠により接収され、倶楽部を閉鎖、法人の「大保土地株式会社」は残し、後に、「古賀ゴルフ土地株式会社」と改称された[2]。1045年(昭和20年)、敗戦後、旧コースでの再建を試みたが叶えられなかった[2]。
1947年(昭和22年)、西日本鉄道株式会社・木村重吉が、「福岡県の古賀にゴルフ場を造ろう、西鉄の土地がある」と土地を提供した[2]。各界のゴルファーが集結し、初代理事長には木曽重義が就任した[4][5]。1948年(昭和23年)5月、資金不足の中で、「福岡国際カンツリー倶楽部」サンドコース9ホール(現・インコース)が完成した[2]。
旧大保コースの関係者の18ホールの願望は強く、唐津ゴルフクラブの9ホールと古賀コースの9ホールを、バスで繋いだ18ホールで「九州カントリー倶楽部」を設立した[2]。1953年(昭和28年)、工事を開始、客土は古賀町(現・古賀市)花見(現・花見 (福岡県))地区のひと山といわれた[4]。同年10月10日、本格的な9ホールが完成、開場された。
1957年(昭和32年)9月10日、名称を福岡国際カンツリー倶楽部から「古賀ゴルフ・クラブ」に改称した[2]。同年12月26日、旧9ホールをインコースとして、18ホールの設計を上田治に依頼し、18ホール規模のゴルフ場が開場した。玄海灘に面したリンクスコースが開場した[4]。
上田治設計の代表的な8コースで「上田治クラシック会」を結成している、地域を越えてお互いにゴルフを楽しみ、会員間の親睦交流をはかり、倶楽部運営の活性化の一助としている[6]。「門司ゴルフ倶楽部」(福岡県、1934年(昭和9年)開場)、「大阪ゴルフクラブ」(大阪府、1937年(昭和12年)開場)、「古賀ゴルフ・クラブ」(福岡県、1953年(昭和28年)開場)、「下関ゴルフ倶楽部」(山口県、1956年(昭和31年)開場)、「奈良国際ゴルフ倶楽部」(奈良県、1957年(昭和32年)開場)、「小野ゴルフ倶楽部」(兵庫県、1961年(昭和36年)開場)、「茨城ゴルフ倶楽部」(茨城県、1962年(昭和37年)開場)、「広島カンツリー倶楽部」(広島県、1963年(昭和38年)開場)[6]。
所在地
[編集]〒811-3105 福岡県古賀市鹿部1310-1番地
コース情報
[編集]- 開場日 - 1926年5月9日
- 設計者 - 上田 治
- 面積 - 700,000m2(約21.1万坪)
- コースタイプ - シーサイドコース
- コース - 18ホールズ、パー72、6,820ヤード、コースレート75.0
- グリーン - 2グリーン、ベント(ペンクロス)&バミューダ
- プレースタイル - 歩行、キャディ付き
- 練習場 - 14打席 220ヤード
- 休場日 - 毎週月曜日、12月31日、1月1日・2日、8月14日、2月最終火・水曜日 [7][5]
クラブ情報
[編集]ギャラリー
[編集]- コース - 「古賀ゴルフ・クラブ」、コースガイド
- ハウス - 「古賀ゴルフ・クラブ」、施設の案内
交通アクセス
[編集]鉄道
道路
1958年10月から2007年3月までは、西鉄宮地岳線(現・貝塚線)の古賀ゴルフ場前駅が最寄りとして存在した。
メジャー選手権
[編集]- 1940年(昭和15年) - 第15回 日本プロゴルフ選手権大会[3]
- 1961年(昭和36年) - 第29回 日本プロゴルフ選手権大会[3]
- 1997年(平成9年) - 第62回 日本オープンゴルフ選手権競技大会[10]
- 2008年(平成20年) - 第73回 日本オープンゴルフ選手権競技大会[10]
- 2019年(令和元年) - 第84回 日本オープンゴルフ選手権競技大会[10]
エピソード
[編集]- 古賀ゴルフ・クラブは、大正時代の開場時は、倶楽部名を「福岡ゴルフ倶楽部」といい、発祥の地は、福岡市の大保池と東野池の間にあった、現在の小郡市で、約600年前に南北朝が戦った古戦場跡である[2]。
- 1945年(昭和20年)、敗戦、その後、旧コースでの再建はならなかった、旧大保コースの関係者が、1947年(昭和22年)頃、福岡市郊外の二日市にショートコース6ホールを開場し、「筑紫カンツリー倶楽部」として営業していた[2]。
- 1948年(昭和23年)5月、現在のインコースに当たる9ホールが仮オープンした当時は、グリーンは芝がまばらで、カップはブリキ缶を埋めただけ、「赤土の土俵グリーン」といわれていた[2]。
- 古賀ゴルフ・クラブは、英国のゴルフ場のようだ、白いクラブハウスに、人間の身長の2倍もある深さのバンカーなど、まさに、玄海灘に面したリンクスコースなのである[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 「GOLF COURSE RANKING CLUB」、現存していない歴史の古い主なゴルフ場、福岡ゴルフ倶楽部大保コース、2020年12月10日閲覧
- ^ a b c d e f g h i j k 『美しい日本のゴルフコース BEAUTIFUL GOLF CULTURE IN JAPAN 日本のゴルフ110年記念 ゴルフは日本の新しい伝統文化である」、ゴルフダイジェスト社「美しい日本のゴルフコース」編纂委員会編、東京 ゴルフダイジェスト社、2013年12月、2020年8月6日閲覧
- ^ a b c 「日本プロゴルフ選手権大会」、日本プロゴルフ協会、2020年12月10日閲覧
- ^ a b c 「古賀ゴルフ・クラブ」、古賀ゴルフの歴史、2020年7月7日閲覧
- ^ a b 「古賀ゴルフ・クラブ」、ゴルフダイジェスト、2020年8月6日閲覧
- ^ a b 「下関ゴルフ倶楽部」、上田治クラシック会、2021年3月23日閲覧
- ^ 「古賀ゴルフ・クラブ」、コースガイド、2020年7月7日閲覧
- ^ 「古賀ゴルフ・クラブ」、ゴルフホトライン、2020年7月7日閲覧
- ^ 「古賀ゴルフ・クラブ」、交通アクセス、2020年7月7日閲覧
- ^ a b c 「日本オープンゴルフ選手権競技」、日本ゴルフ協会、2020年7月24日閲覧
関連文献
[編集]- 『建築と社会』、「作品作風 古賀ゴルフ・クラブ」、大阪 日本建築協会、1958年4月、2020年8月6日閲覧
- 『ふるさと飛行』、「古賀ゴルフ・クラブ 福岡県航空写真集』、福岡 西日本新聞社、1983年10月、2020年8月6日閲覧
- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(162)古賀ゴルフクラブの創設と発展」、井上勝純著、東京 一季出版、1999年10月、2020年8月6日閲覧
- 『月刊ゴルフマネジメント』、「ゴルフ倶楽部を考える(163)古賀ゴルフクラブ、18ホールに拡張」、井上勝純著、東京 一季出版、1999年11月、2020年8月6日閲覧
- 『現代建築』、「古賀ゴルフ・クラブ クラブハウス 福岡県古賀市 設計・監理/日建設計 施工/大成建設」、東京 近代建築社、2016年1月、2020年8月6日閲覧