古賀一隆
古賀 一隆 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県 |
生年月日 | 1935年8月30日 |
死没 | 2011年12月8日(76歳没) |
騎手情報 | |
所属団体 | 日本中央競馬会 |
初免許年 | 1956年 |
免許区分 | 平地競走、障害競走 |
騎手引退日 | 1976年 |
重賞勝利 | 8勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 2171戦231勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1979年 |
調教師引退日 | 2006年 |
重賞勝利 | 2勝 |
G1級勝利 | 0勝 |
通算勝利 |
中央競馬:4528戦265勝(重賞2勝) 地方競馬:177戦15勝 |
経歴 | |
所属 |
騎手 1956年 - 1965年 古賀嘉蔵 1965年 - 1968年 西塚十勝 1968年 - 1971年 谷栄次郎 1971年 - 1976年 宮沢今朝太郎 調教助手 1976年 - 1979年 宮沢今朝太郎 調教師 1979年 - 2006年 |
古賀 一隆(こが かずたか、1935年8月30日 - 2011年12月8日)は、日本の元調教師(JRA:美浦トレーニングセンター)、元騎手。
人物
[編集]1953年、中山・古賀嘉蔵厩舎所属の騎手見習いとなり、1956年に同厩舎より騎手デビュー。 4月21日の初騎乗のレースはホウジヨウに騎乗して7着だった。初騎乗からちょうど1年後となる1957年4月21日にイワフネで初勝利を挙げる。
1960年6月26日に中山大障害(春)をロールメリーで制し重賞初勝利を挙げると、その年の秋、10月9日にはロールメリーとのコンビで中山大障害(秋)を制し、春・秋の大障害制覇を果たす。
1963年12月15日、第15回朝日杯三歳ステークスをウメノチカラで優勝。だが、ウメノチカラは4歳以降、伊藤竹男に乗り替わられてしまい、翌年(1964年)のクラシック戦線を共に戦うことは出来なかった。
1965年に西塚十勝厩舎(中山)、1968年には谷栄次郎厩舎(中京)、1971年には宮沢今朝太郎厩舎(中山)と、所属厩舎が変遷する。
1976年に騎手を引退し、宮沢今朝太郎厩舎の調教助手となったのち、1978年に調教師免許を取得、翌年の1979年に厩舎を開業し、5月3日、東京競馬場での第8レースにアローグレースを厩舎所属馬として初出走させ4着となる。調教師としての初勝利は1980年2月10日、東京競馬場第2競走のコガイチヒメで、これがのべ54頭目であった。
1981年7月26日、札幌競馬場での北海道3歳ステークスにコウチオウショウ(津留千彰騎乗)が1着となり、初重賞制覇を果たす。
2006年2月28日付けにて定年により調教師を引退、これに先立つ2月26日に中山競馬場で行われた引退式に参加した。
騎手戦績
[編集]- 2171戦231勝(重賞8勝)
主な騎乗馬
[編集]- ロールメリー(1960年 中山大障害(春・秋))
- サツマカブト(1962年 アラブ王冠(春))
- クサブエ(1962年 東京障害特別(春))
- ウメノチカラ(1963年 朝日杯3歳ステークス)
- アイエルオー(1965年 東京障害特別(秋))
- マルブツライト(1969年 読売カップ(春))
- サンヨウコウ(1973年 関屋記念)
調教師戦績
[編集]- 中央競馬:4528戦265勝(重賞2勝)
- 地方競馬:177戦15勝。
- (合算:4705戦280勝)
主な管理馬
[編集]- コウチオウショウ(1981年北海道3歳ステークス)
- ウメノシンオー(1983年ラジオたんぱ賞)
親族
[編集]古賀家は競馬一家である。
脚注
[編集]- ^ 元JRA調教師の古賀一隆氏死去 通算265勝 スポーツニッポン 2011年12月9日閲覧