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右近和作

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

右近 和作(うこん わさく、旧姓・八十島[1]1876年明治9年)3月11日 - 没年不明)は、日本実業家資産家。日本海上火災保険相談役[2]。日本海上ビルデイング社長[3]。日海興業、右近商事各取締役[2][3]。日本生命保険監査役[2]。早稲田大学評議員[4]。族籍は福井県平民[1]

人物

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福井県平民・八十島五郎右衛門の三男[1]。八十島五郎右衛門の弟[5]。生家は代々酒造家であった[6]1898年、右近権左衛門の養子となり、1916年、養弟権左衛門方より分家して一家を創立した[1]

1901年東京専門学校(現・早稲田大学)英語政治科卒業[1][4]米国に遊学した[4]。養父の統督する日本海上保険に入り、常務取締役として手腕を発揮した[6]。戦後、公職追放となった[7]

資産家であった。『時事新報社第三回調査全国五拾万円以上資産家』によれば「財産見積額・80万円、財産種別・有価証券其他」である。『大正人名辞典』によれば「資産100万円以上を算す」という[6]。趣味は読書、書道[2]。宗教は仏教[2]。住所は兵庫県武庫郡住吉村鴨子ヶ原[2](現・神戸市東灘区鴨子ヶ原)。

家族・親族

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右近家
北前船主の館・右近家
親戚
  • 時国武二郎(医学博士、内科医師)
  • 小寺敬一関西学院高等商業学部教授)

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『人事興信録 第5版』う1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月1日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h 『人事興信録 第14版 上』ウ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月1日閲覧。
  3. ^ a b 『日本紳士録 第44版』兵庫イ、ヰ、ウの部18頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月7日閲覧。
  4. ^ a b c 『早稲田大学紳士録 昭和15年版』122頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年5月19日閲覧。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 第12版 上』ウ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2016年10月1日閲覧。
  6. ^ a b c 『大正人名辞典』263頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年6月6日閲覧。
  7. ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』701頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2018年9月13日閲覧。

参考文献

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  • 東洋新報社編『大正人名辞典』東洋新報社、1917年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。 
  • 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝 上巻』実業之世界社、1936年。 
  • 早稲田大学紳士録刊行会編『早稲田大学紳士録 昭和15年版』早稲田大学紳士録刊行会、1939年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1939年。 
  • 交詢社編『日本紳士録 第44版』交詢社、1940年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。 
  • 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。 

関連項目

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