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合田心平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
合田 心平
Shinpei Goda
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1992-09-23) 1992年9月23日(32歳)
出身地 日本の旗 広島県神石郡
ラテン文字 Shinpei Goda
身長 172cm
体重 69kg
血液型 O型
選手情報
所属 崇徳高等学校
愛称 ゴウダ
役職 コーチ
ポジション S
指高 222cm
スパイク 320cm
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合田 心平(ごうだ しんぺい、1992年9月23日 - )は、日本の元男子バレーボール選手、バレーボール指導者である。

来歴

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広島県神石郡出身。父親が監督をしていた影響や兄がプレーしていた影響を受けて、小学校に入った頃からバレーボールを始めた[1]。学生時代、小学5年の頃から下宿をしてのバレーボール人生が続いた[1]

崇徳高等学校大阪産業大学でのプレーを経て、大学卒業前に、パナソニックパンサーズから練習生としてプレーする機会が与えられた[1]。練習生としての3ヶ月間のプレーを経て2015年4月にパナソニックに正式入団[2]。パナソニックでは、日本代表セッターの深津英臣関田誠大がいたため出場機会に恵まれなかった。

2018年5月、黒鷲旗が終わった頃に移籍の話が出て、長く悩んだ末に、地元のチームでもあるJTサンダーズ広島への移籍を決断[1]。同年8月に移籍した[3][1]

2020-21シーズンよりチーム副主将を2シーズン務めた[4][5]。2022-23シーズンよりコーチを兼任する[6]

2023年、3月31日付でJTサンダーズ広島を退団した[7]。4月より母校の崇徳高等学校のコーチを務める[8]

人物・エピソード

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身長172cmと男子バレーボールにおいては低身長であり、前衛のときはどうしても自身のブロックの上からスパイクを打たれてしまう。そのためVリーグでは出場機会が限られた。その分、レシーブや丁寧なセットには力を注ぎ、度重なる練習で武器をつくり上げた。金子聖輝の成長にも一役買い、練習に付き合い、セッターとしてのノウハウを叩き込んだ。新井雄大は「合田さんがコートに入ると合田さんのエナジーが全員に伝わってきた」と話している[9]

所属チーム

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脚注

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  1. ^ a b c d e 合田心平選手のインタビュー”. JTサンダーズ広島 (2018年9月). 2020年7月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月25日閲覧。
  2. ^ 2015年度 新人選手紹介”. パナソニックパンサーズ (2015年4月3日). 2020年7月24日閲覧。
  3. ^ 退団選手のお知らせ”. パナソニックパンサーズ (2018年6月6日). 2020年7月24日閲覧。
  4. ^ 2020/21シーズンより、合田心平選手が副主将になりました!”. JTサンダーズ広島 (2020年7月14日). 2020年7月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月24日閲覧。
  5. ^ 2021/22シーズン JTサンダーズ広島新体制のお知らせ”. JTサンダーズ広島 (2021年6月4日). 2022年6月8日閲覧。
  6. ^ 2022/23シーズン JTサンダーズ広島新体制のお知らせ”. JTサンダーズ広島 (2022年6月6日). 2022年6月8日閲覧。
  7. ^ 合田心平選手兼コーチ退部のお知らせ”. JTサンダーズ広島 (2023年3月17日). 2023年4月30日閲覧。
  8. ^ “元JT広島の合田さん、母校崇徳高コーチに 指導者の第一歩「恩返しの気持ち」”. 中国新聞. (2023年4月27日). https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/299055 2023年4月30日閲覧。 
  9. ^ 2022/23シーズンは7位でフィニッシュ 悔しさも力に「最後まで戦う姿勢を示したい」”. JTサンダーズ広島 (2023年4月28日). 2023年5月7日閲覧。

外部リンク

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