吉住弘
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吉住 弘 よしずみ ひろし | |
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生年月日 | 1941年5月10日 |
出生地 | 東京府東京市 |
没年月日 | 2015年1月7日(73歳没) |
死没地 | 東京都台東区 |
出身校 | 専修大学経済学部 |
前職 | 東京都台東区長 |
所属政党 |
(自由民主党→) 無所属 |
称号 |
旭日中綬章 従四位 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 |
2003年2月 - 2007年2月8日 2007年3月 - 2011年3月17日 2011年4月 - 2015年1月7日 |
選挙区 | 台東区選挙区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1997年7月23日 - 2001年7月22日 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1974年9月30日 - 1997年6月6日 |
吉住 弘(よしずみ ひろし、1941年〈昭和16年〉5月10日[1] - 2015年〈平成27年〉1月7日)は、日本の政治家。位階は従四位。東京都台東区長(3期)、東京都議会議員(1期)、台東区議会議員(7期)などを務めた。
概要
[編集]山田久就元衆議院議員の秘書を務める。 台東区議会議員7期、区議会議長、東京都議会議員1期を経て、2003年2月の台東区長選挙に自由民主党公認で出馬し、当選を果たした。
2007年3月の区長選では無所属で自民党の推薦を受け再選。
2011年の台東区長選挙に際しては、3選出馬し「長期政権」を目指す吉住に対し、参議院議員や経済産業副大臣を務めた国政経験の豊富な保坂三蔵も立候補の意向を表明。自民党台東総支部は、票の分散を防ぐための予備選を実施し、結果予備選では保坂が当選する。しかし吉住は予備選敗北を認めようとせず離党勧告を受け自民党を離党。無所属で台東区長選に出馬し3選した[3]。
2014年12月17日に健康上の理由により、2015年の第18回統一地方選挙で執行される予定であった台東区長選挙に出馬せずに3期目の任期満了で退任する意向を明らかにしていた[4]。しかし年が明けた2015年1月7日に永寿総合病院にて肝細胞癌により現職区長のまま急逝[5][6][7]。73歳没。没後、従四位に追叙され、旭日中綬章を追贈された[8]。
脚注
[編集]- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、138頁。
- ^ 統一地方選2011 吉住 弘 プロフィール
- ^ “【統一地方選2011】自民分裂の台東区長選 推薦逃した現職笑顔”. 東京新聞. (2011年4月25日) 2014年2月10日閲覧。
- ^ 吉住区長が、今期限りでの退任を正式表明しました。 台東区プレスリリース 2014年12月17日付
- ^ 【訃報】吉住 弘 台東区長が逝去いたしました 台東区プレスリリース 2015年1月7日付
- ^ 吉住弘氏死去(東京都台東区長) 時事通信 2015年1月7日閲覧
- ^ 訃報:吉住弘さん73歳=東京都台東区長 毎日新聞 2015年1月7日閲覧
- ^ 『官報』第6469号 10頁 平成27年2月10日付