吉川務
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吉川 務(きっかわ つとむ、1834年(天保5年6月[1][2])- 1899年(明治32年)3月8日[2][3][4])は、幕末の岩国藩士、明治期の公吏・政治家。衆議院議員。諱・資謹、資元[4]。号・芙容[4]、別名・士深[4]。
経歴
[編集]周防国玖珂郡、のちの山口県[2]玖珂郡愛宕村[2][3](現岩国市)で、長州藩岩国領(岩国藩)主・吉川家の支族の家に生まれた[1]。玉乃世履に師事し陽明学を修め[1][2][3]、撃剣を修行した[1]。その後、洋学、西洋兵学を修めた[1]。
銃卒長、大目付、軍監を歴任[1][5]。日新隊参謀となり鳥羽・伏見の戦いに従軍した[1][2][3][5]。その後、公用人、用人役、岩国藩内務署番長・公儀人、由宇村代官、少参事を務めた[1][5]。廃藩置県後、岩国県大属となり、山口県権典事を務めて退官した[1][2][3]。1872年11月(明治5年10月)岩国学区取締に就任[5]。旧藩主吉川経健が東京に移り、その家扶を1874年(明治7年)から1888年(明治21年)まで務めた[1]。
1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(山口県第5区、無所属)で当選し[1][6]、衆議院議員に1期在任した[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
- 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
- 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
- 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
- 上田純雄『岩国人物誌』岩国市立岩国図書館、1970年。
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。