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吉川務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

吉川 務(きっかわ つとむ、1834年天保5年6月[1][2])- 1899年明治32年)3月8日[2][3][4])は、幕末岩国藩士、明治期の公吏・政治家衆議院議員。諱・資謹、資元[4]。号・芙容[4]、別名・士深[4]

経歴

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周防国玖珂郡、のちの山口県[2]玖珂郡愛宕村[2][3](現岩国市)で、長州藩岩国領(岩国藩)主・吉川家の支族の家に生まれた[1]玉乃世履に師事し陽明学を修め[1][2][3]、撃剣を修行した[1]。その後、洋学、西洋兵学を修めた[1]

銃卒長、大目付、軍監を歴任[1][5]。日新隊参謀となり鳥羽・伏見の戦いに従軍した[1][2][3][5]。その後、公用人、用人役、岩国藩内務署番長・公儀人、由宇村代官、少参事を務めた[1][5]廃藩置県後、岩国県大属となり、山口県権典事を務めて退官した[1][2][3]。1872年11月(明治5年10月)岩国学区取締に就任[5]。旧藩主吉川経健東京に移り、その家扶を1874年(明治7年)から1888年(明治21年)まで務めた[1]

1890年(明治23年)7月、第1回衆議院議員総選挙(山口県第5区、無所属)で当選し[1][6]、衆議院議員に1期在任した[2][3]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 『明治新立志編』181-182頁。
  2. ^ a b c d e f g h 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』218頁。
  3. ^ a b c d e f 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』157頁。
  4. ^ a b c d 『岩国人物誌』29頁。
  5. ^ a b c d 『日本帝国国会議員正伝』530頁。
  6. ^ 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』50頁。

参考文献

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  • 木戸照陽編『日本帝国国会議員正伝』田中宋栄堂、1890年。
  • 篠田正作編『明治新立志編』鍾美堂、1891年。
  • 『衆議院議員総選挙一覧 上巻』衆議院事務局、1915年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 上田純雄『岩国人物誌』岩国市立岩国図書館、1970年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。