吉田元陳
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吉田 元陳(よしだ げんちん、享保13年(1728年)[1] - 1795年(寛政7年))は、日本の江戸時代中期に活躍した鶴澤派(狩野派の一派)の絵師。
略伝
[編集]鶴澤探鯨の門人。諱は守清。京都の豪商・角倉家の縁者とされる。1757年(宝暦7年)に法橋に上る。翌年から禁裏の御用を勤め、閏月の御月扇を進上している。1771年(明和8年)御所の太宋御屏風を制作。1777年(安永6年)法眼位を得る。探鯨の息子・探索と寛政度禁裏御所障壁画制作に参加した。跡は息子の吉田大炊(元椿)が継いだ。弟子は木村元城、杉山元春、谷川元庸、吉城元陵など数多いものの、その活動については殆ど不明である。
作品
[編集]作品名 | 技法 | 形状・員数 | 寸法(縦x横cm) | 所有者 | 年代 | 落款・印章 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
近江八景画巻 | 絹本著色 | 1巻 | 30.4x355.1 | 個人 | 1757-77年(法橋期)[2][3] | ||
近江八景図 | 紙本著色 | 六曲一双 | 滋賀県立琵琶湖文化館[4] | ||||
群鶴図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 155.0x360.0(各) | 個人(京都国立博物館寄託) | 法眼期 | 各隻に款記「法眼元陳筆」 | |
曲水の宴図屏風 | 紙本金地著色 | 六曲一双 | 城南宮 | ||||
四季淀・保津川図屏風 | 個人 | ||||||
人物図 | 紙本墨画 | 襖6面床貼付 | 正法寺 (八幡市) | ||||
亥猪之日図 | 絹本著色 | 法人 | 1780年(安永9年) | ||||
上林禅寺本堂障壁画 | 襖34面 | 上林禅寺 | 1791年(寛政3年) | 綾部市指定文化財[5] | |||
胡人狩猟図巻 | 紙本著色 | 1巻 | 35.3 | 三の丸尚蔵館[6] | |||
墓場の幽霊図 | 紙本著色 | 1幅 | 45.7x17.5 | 福岡市美術館 |
脚注
[編集]- ^ 『近世京都の狩野派展』p.221。
- ^ 『近世京都の狩野派展』pp.37,173。
- ^ 大阪市立美術館 サントリー美術館 福岡市博物館ほか編集 『智証大師帰朝1150年 特別展 国宝 三井寺展』 NHK大阪放送局 NHKプラネット近畿 毎日新聞社発行、2008年10月31日、p.174。
- ^ 藤本松雲堂 「修理報告 紙本著色近江八景図 吉田元陳筆」『滋賀県立琵琶湖文化館 研究紀要 第31号』 2015年3月27日、pp.46-49。
- ^ 上林禅寺の襖絵
- ^ 宮内庁三の丸尚蔵館編集 『虎・獅子・ライオン ―日本美術に見る勇猛美のイメージ 三の丸尚蔵館展覧会図録No.51』 菊葉文化協会、2010年7月17日、p.16。
参考文献
[編集]- 江口恒明 「寛政二年以降の京都画壇における絵師の身分秩序」『美術史論集 中部義隆先生追悼号』第17号、神戸大学美術史研究会、2017年2月20日、pp.63-92
- 展覧会図録