吉田峯太郎
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吉田 峯太郎 | |
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生誕 |
1891年2月24日 日本 東京府 |
死没 | 1978年7月2日(87歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1912年 - 1945年 |
最終階級 | 陸軍中将 |
吉田 峯太郎(よしだ みねたろう、1891年(明治24年)2月24日[1] - 1978年(昭和53年)7月2日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1891年(明治24年)に東京府で生まれた[1]。陸軍士官学校第24期、陸軍大学校第35期卒業[2]。1937年(昭和12年)3月に陸軍歩兵大佐に進級し[3]、留守第12師団参謀長に着任[3]。1938年(昭和13年)12月に独立歩兵第13連隊長(駐蒙軍・第26師団・第26歩兵団)に就任し[3]、日中戦争に出動[2]。
1939年(昭和14年)10月2日に陸軍少将に進級し[3]、ノモンハン事件終結後の歩兵第13旅団長(関東軍・第7師団)に着任し、同部隊の再建に尽力した[2]。1940年(昭和15年)10月に第7師団司令部附を経て、1941年(昭和16年)3月に独立混成第8旅団長(北支那方面軍)に転じ、八路軍との攻防戦に参加[2]。1943年(昭和18年)9月7日に東部軍司令部附となり[1]、12月27日に西部軍兵務部長に就任した[1]。1944年(昭和19年)7月8日に陸軍中将に進級し[3]、留守第57師団長に就任[1]。1945年(昭和20年)1月20日に第13師団長に親補され、中国戦線に復帰[2]。長沙周辺で警備に当たった[2]。
1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[4]。
栄典
[編集]- 勲章等
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。ISBN 4829500026。