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吉野由志子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉野由樹子から転送)
よしの よしこ
吉野 由志子
本名 吉野 佳子
別名義 吉野 佳子(本名)
吉野敬子
吉野由樹子
生年月日 (1944-10-05) 1944年10月5日(80歳)
出生地 日本の旗 日本石川県
身長 155cm
職業 女優、声優
ジャンル テレビドラマ、舞台、吹き替え
配偶者 菅野菜保之
著名な家族 吉野実紗(娘)
所属劇団 文学座
事務所 文学座
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吉野 由志子(よしの よしこ、本名及び旧芸名:吉野 佳子[1][2]1944年昭和19年〉10月5日[1][3] - )は、日本の女優声優である。別名義:吉野 由樹子。

石川県出身[1][3]鷗友学園女子高等学校卒業[1]劇団俳優座養成所卒業[4]1967年文学座入り[5]。以後文学座に所属[1]。特技は日本舞踊[1][3]

出演作品

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舞台

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1967年

  • 初舞台『大寺学校』(文学座本公演)

1968年

  • 『美しきものの伝説』(本公演)朝日生命ホール、砂防会館ホール

1970年

1971年

  • 『にごりえ』(本公演)東横劇場、国立劇場大劇場

1973年

  • 『女の一生』(本公演)東横劇場
  • 『ふるあめりかに袖はぬらさじ』(本公演)国立劇場小劇場
  • 『飢餓海峡』(本公演)旅公演

1976年

1978年

1979年

  • 『にしむくさむらい』(本公演)紀伊國屋ホール
  • 『もず』(本公演)三越劇場

1982年

  • 『あーぶくたった、にいたった』(本公演)俳優座劇場

1986年

  • 『さらだ殺人事件』(アトリエ)

1987年

  • 『ジョバンニ父への旅』(本公演)紀伊國屋ホール

1990年

  • 『山猫からの招待』(本公演)紀伊國屋ホール

1992年

  • 『苺ジゴロと一日花』(アトリエ)

1993年

  • 『花の氷室』(アトリエ)

1995年

  • 『いそという女』(俳優座劇場)

1997年

  • 『柘榴のある家』(本公演)紀伊國屋サザンシアター

1998年

  • 『華岡青洲の妻』(本公演)紀伊國屋サザンシアター 2000、01年地方公演
  • 『みみず』(アトリエ)

1999年

  • 『家路』(本公演)三越劇場 04年再演

2000年

  • 『かどで・つり堀にて』(俳優座劇場)

2001年

  • 『木に花咲く』富山市オーバード芸術劇場
  • 『用明天皇職人鑑』山口ルネッサながと 03年再演

2002年

  • 『一心二河白道(清玄櫻姫)』山口ルネッサながと
  • 『華岡青洲の妻』(英の会)国立劇場小劇場
  • 『オナー』(アトリエ)

2003年

  • 『ホームバディ/カブール』(アトリエ)

2004年

  • 『鹿鳴館』(ポイント東京)ル テアトル銀座
  • 『千年の三人姉妹』天王洲アートスフィア
  • 『津国女王天池』(巣林舎)紀伊國屋ホール

2005年

  • 『新・近松心中物語』(ポイント東京)博多座
  • 『曾我会稽山』(巣林舎)紀伊國屋ホール

2007年

  • 『犬が西むきゃ尾は東』(アトリエ)
  • 『マーヴィンの部屋』(劇団東演)本多劇場

2008年

  • 『ミセス・サヴェッジ』(アトリエ)吉祥寺シアター

2009年

  • 『町の音』(みつわ会)六行会ホール
  • 『定年ゴジラ』(本公演)紀伊国屋サザンシアター

2010年

  • 『ダーウィンの城』(アトリエ)

2011年

  • 『浪花女』紀尾井ホール
  • 『愛のポストマン』(朗読)浅草リトルシアター

2012年

  • 『タネも仕掛けも』(本公演)紀伊國屋サザンシアター

2013年

  • 『女たちの招魂祭』(朋友)俳優座劇場

テレビ

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映画

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吹き替え

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ラジオドラマ

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  • 窓辺には夜の歌

CM

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  • みずほ信託銀行(Web、店頭)

受賞歴

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出典

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  1. ^ a b c d e f 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、395頁。 
  2. ^ 文学座 アトリエ短信 2008年”. 2017年9月25日閲覧。
  3. ^ a b c 吉野由志子 - 日本タレント名鑑
  4. ^ 日本タレント名鑑'81』VIPタイムズ社、1980年、388頁。 
  5. ^ 週刊テレビ番組(東京ポスト)1978年6月23日号 p.22「吉野佳子 プロフィール」
  6. ^ 日刊スポーツ』1978年10月14日付、16面。

外部リンク

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