同慶寺 (宇都宮市)
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同慶寺 | |
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所在地 | 栃木県宇都宮市竹下町1107 |
位置 | 北緯36度33分32.6秒 東経139度58分28.4秒 / 北緯36.559056度 東経139.974556度座標: 北緯36度33分32.6秒 東経139度58分28.4秒 / 北緯36.559056度 東経139.974556度 |
山号 | 瑞龍山 |
院号 | 養徳院 |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 妙心寺派 |
創建年 | 永仁年間(1293年 - 1299年) |
開山 | 妙哲禅師 |
開基 | 芳賀高俊 |
文化財 | 銅鐘、木造訶利帝母坐像(以上、宇都宮市指定有形文化財) |
法人番号 | 1060005000237 |
同慶寺(どうけいじ)は、栃木県宇都宮市にある臨済宗妙心寺派の寺院。
歴史
[編集]鎌倉時代末期の[1]永仁年間(1293年 - 1299年)に[2]、芳賀高俊の開基により建立された[2][3]。高峰顕日(仏国禅師)の第三法嗣である[2]妙哲禅師が当寺を開山したのに合わせて、高俊は建物などを寄進した[4]。七堂伽藍を備え、広大な寺領を持つ、大寺院であった[2]。
高俊は近くの飛山城を築城しており、当寺も支城としての機能を持たせるために、空堀や土塁を築いた[3]。現在もその一部が遺構として残る[5]。永禄年間(1558年 - 1570年)に堂宇が炎上し、芳賀高武が再建するも、宇都宮氏の改易により庇護を失い、衰微した[2]。江戸時代には興禅寺の兼帯となった[2]。1879年(明治12年)に再び火災に遭った後、再建された[2]。
墓地には、芳賀氏一族の墓がある[4]。その付近に、妙哲の墓と伝えられる供養塔がある[2]。
文化財
[編集]- 銅鐘(宇都宮市指定有形文化財 1958年〔昭和33年〕7月21日指定)[6]:戸室定国の鋳造で、享保元年(1716年)の銘がある[2]。
- 芳賀(清原)氏累代の墓碑(宇都宮市指定史跡 1958年〔昭和33年〕7月21日指定)[7]
- 木造訶利帝母坐像(宇都宮市指定有形文化財 1975年〔昭和50年〕3月25日指定)[8]
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, p. 34.
- ^ a b c d e f g h i 塙 2015, p. 173.
- ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, pp. 34–35.
- ^ a b 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩(歴史散歩9)』山川出版社、2007年、34-35p
- ^ 栃木県歴史散歩編集委員会 編 2007, p. 35.
- ^ “銅鐘(同慶寺)”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。
- ^ “芳賀(清原)氏累代の墓碑”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。
- ^ “木造訶利帝母坐像”. 宇都宮の歴史と文化財. 宇都宮市歴史文化資源活用 推進協議会. 2022年1月22日閲覧。
参考文献
[編集]- 塙静夫『うつのみやの地名と歴史散歩』下野新聞社、2015年9月11日、263頁。ISBN 978-4-88286-594-0。
- 栃木県歴史散歩編集委員会 編『栃木県の歴史散歩』山川出版社〈歴史散歩⑨〉、350頁。ISBN 978-4-634-24609-6。