名取堯
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名取 堯(なとり たかし、1890年5月21日 - 1975年)は、日本の思想史学者、芸術学者。
略歴
[編集]長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)生まれ。旧制長野県立諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)、長野師範学校を卒業後、小学校に2年勤務後、1918年早稲田大学文学部卒業。
日本美術学校(後の日本美術専門学校)講師。1929年帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)教授。1934年同校校長北昤吉に学校二分案を提示し、翌1935年、同盟休校事件が発生し、帝国美術学校より多摩帝国美術学校(現・多摩美術大学)が分離独立[1][2]。1948年1月造型美術学園(現・武蔵野美術大学)経営顧問。1948年11月武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)校長。1949年同校顧問。1959年同校名誉校長。
著書
[編集]- 『秩序の感 : 希臘的知性』 修文館 1942年
- 『表現と理解の構造』修文館 1943年
- 『現代芸術の理解 』造形芸術研究会 1956年
- 『デッサン入門』造形芸術研究会 1958年. NCID BN1141868X
- 『芸術の流派 : その成立と展開 』造形社 1960年
- 『現代芸術の系譜』冬樹社 1965年
- 『抽象と実存 : 現代芸術の理解』造形社 1966年
- 『制作とモチーフ』東京美術 1968年
- 『再現と表現』東京美術 1973年
脚注
[編集]関連項目
[編集]出典
[編集]- 『長野県人名鑑』信濃毎日新聞社、1974年