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名古屋市立守山小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
名古屋市立守山小学校
地図北緯35度12分4.27秒 東経136度57分53.87秒 / 北緯35.2011861度 東経136.9649639度 / 35.2011861; 136.9649639座標: 北緯35度12分4.27秒 東経136度57分53.87秒 / 北緯35.2011861度 東経136.9649639度 / 35.2011861; 136.9649639
国公私立の別 公立学校
設置者 名古屋市
設立年月日 1907年
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード B123210001789 ウィキデータを編集
所在地 463-0015
愛知県名古屋市守山区西島町6-27
外部リンク 公式ウェブサイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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名古屋市立守山小学校(なごやしりつ もりやましょうがっこう)は、愛知県名古屋市守山区西島町にある公立小学校

歴史

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沿革

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守山小学校の創立は明治40年(1907年)である。これは二城尋常小学校、川村尋常小学校、高間尋常小学校を統合し、守山尋常小学校となった年である。ここではそれ以前についても記述する。

  • 1873年(明治6年) - 小幡村に有隣学校が開校する。
  • 1874年(明治7年) - 大永寺村に制流学校が開校する。
  • 1876年(明治9年) -
    • 有隣学校が小幡学校に改称する。
    • 制流学校が大永学校に改称する。
    • 守山村に守山学校が開校する。
  • 1877年(明治10年) - 瀬古村に瀬古学校が開校する。
  • 1880年(明治13年) - 川村に川村学校が開校する。
  • 1887年(明治20年) - 守山学校が尋常小学守山学校、小幡学校が尋常小学小幡学校、大永学校が尋常小学大永寺学校、瀬古学校が尋常小学瀬古学校、川村学校が尋常小学川村学校に改称する。
  • 1889年(明治22年)10月1日 -
    • 守山村、川村、金屋坊村、大森垣内村、大永寺村が合併し、二城村となる。
    • 幸心村と瀬古村が合併し、高間村となる。
    • 大森村と森孝新田が合併し、大森村となる
  • 1890年(明治23年) - 尋常小学守山学校、尋常小学大永寺、尋常小学川村学校を統合し、尋常小学二城学校となる。
  • 1892年(明治25年) - 尋常小学二城学校が二城尋常小学校、尋常小学小幡学校が小幡尋常小学校、尋常小学瀬古学校が高間尋常小学校に改称する。
  • 1899年(明治32年) - 二城村、小幡村、高間村、大森村で組合を設立。守山高等小学校を開校する。
  • 1906年(明治39年)7月16日 - 二城村、高間村、大森村、小幡村が合併し町制施行。守山町となる。
  • 1907年(明治40年)3月 -
    • 二城尋常小学校、小幡尋常小学校、高間尋常小学校、守山高等小学校を統合し、守山尋常高等小学校となる[1]。現在地に校舎が完成する[1]
    • 大森尋常小学校の校区の一部が守山尋常高等小学校校区に移る。
  • 1913年(大正2年)4月 - 守山町大字瀬古に瀬古分教場を設置する[1]
  • 1925年(大正14年) - 校区の一部が大森尋常高等小学校校区に移る[1]
  • 1933年(昭和8年) - 実業補習学校に高等科を設置し、守山国民高等学校が設立される[1]
  • 1935年(昭和10年) - 守山国民高等学校が青年学校の守山国民学校となる。
  • 1937年(昭和12年)
    • 3月 - 守山尋常高等小学校の高等科を廃止し、守山尋常小学校に改称する[1]。高等科は守山国民高等学校に収容される。
    • 6月 - 瀬古分教場が瀬古尋常小学校として独立する[1]
  • 1941年(昭和16年)
    • 1月 - 校舎を増築する。
    • 4月1日 - 守山国民学校に改称する[2]
  • 1944年(昭和19年)
    • 10月 - 児童数増加のため。大字守山字鳥羽見に鳥羽見国民学校を設置することが決まり、校舎の起工式を行う[3]
    • 12月7日 - 昭和東南海地震により、建設中の鳥羽見国民学校校舎が被害を受ける。
    • 12月13日 - 空襲で鳥羽見国民学校校舎が被害を受け、建設が中断となる。
  • 1946年(昭和21年)10月 - 中断していた鳥羽見国民学校の校舎が完成し、守山国民学校鳥羽見分教場として設置される。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 守山町立守山小学校に改称する[2]鳥羽見分教場は鳥羽見分校となる。[要出典]
  • 1949年(昭和24年)4月1日 - 鳥羽見分校が[要出典]守山町立鳥羽見小学校として独立する。
  • 1951年(昭和26年)
    • 4月1日 - 守山町立小幡小学校を分離する[3]。小幡小学校の校舎が未完成のため、守山小学校の教室の一部で授業を行う。
    • 11月 - 小幡小学校の校舎が完成し、分離する。
  • 1954年(昭和29年)
    • 4月1日 - 廿軒家分校を設置する。[要出典]
    • 6月1日 - 守山町に志段味村が編入され市制施行。守山市となる。同時に守山市立守山小学校に改称する[WEB 1]
  • 1955年(昭和30年)4月1日 - 廿軒家分校[要出典]守山市立廿軒家小学校として独立する[WEB 2]
  • 1958年(昭和33年)12月 - 新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成する[WEB 2]
  • 1960年(昭和35年)2月 - 校舎を増築する[WEB 2]
  • 1963年(昭和38年)
    • 2月15日 - 守山市が名古屋市に編入される[WEB 2]。同時に名古屋市立守山小学校に改称する[WEB 2]
    • 12月 - 体育館が完成する[WEB 2]
  • 1966年(昭和41年)8月 - プールが完成する[WEB 2]
  • 1968年(昭和43年)4月 - 名古屋市立白沢小学校を分離する。
  • 1971年(昭和46年)3月 - 校舎(東校舎)が完成する[WEB 2]
  • 1972年(昭和47年)3月 - 校舎を増築する[WEB 2]
  • 1975年(昭和50年)4月 - 名古屋市立二城小学校を分離する[WEB 3]
  • 1979年(昭和54年)3月 - 新体育館が完成する[WEB 3]
  • 1983年(昭和58年)4月 - 名古屋市立西城小学校を分離する[WEB 3]

通学区域

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所管する名古屋市教育委員会は、2020年(令和二年)9月1日現在、守山区のうち、城南町新城中新・西島町・西新東山町守山一丁目・守山二丁目・守山三丁目の全域および大牧町大屋敷小幡中一丁目・西城一丁目の各一部を通学区域として指定している[WEB 4]

また、卒業後の進学先は名古屋市立守山中学校となっている[WEB 5]

交通アクセス

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脚注

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WEB

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  1. ^ 学校の沿革 明治40年~昭和29年”. 名古屋市立守山小学校. 2020年8月9日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i 学校の沿革 昭和30年~昭和48年”. 名古屋市立守山小学校. 2020年8月9日閲覧。
  3. ^ a b c 学校の沿革 昭和49年~現在”. 名古屋市立守山小学校. 2020年8月9日閲覧。
  4. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2020年9月1日). “名古屋市立小・中学校の通学区域一覧(守山区)” (PDF). 名古屋市. 2020年12月13日閲覧。
  5. ^ 名古屋市教育委員会事務局総務部教育環境計画室計画係 (2020年9月1日). “名古屋市立中学校区一覧(小→中)” (PDF). 名古屋市. 2020年12月13日閲覧。

書籍

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参考文献

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  • 愛知県守山市役所 編『守山市史』守山市、1960年。 

関連項目

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外部リンク

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