名古屋市立横須賀郊外学園
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名古屋市立横須賀郊外学園 | |
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国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 名古屋市 |
校訓 | みんなが仲よく みんなが力を合せ みんなが働いて みんなが幸福に[1] |
閉校年月日 | 1966年(昭和41年)12月31日[2] |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒 |
名古屋市立横須賀郊外学園(なごやしりつよこすかこうがいがくえん)は、愛知県幡豆郡吉良町(のちの西尾市吉良町)に所在した名古屋市立の教育機関。
沿革
[編集]- 1940年(昭和15年)4月 - 横須賀村農民道場予定地として土地が確保され、翌月に開墾鍬入れ式が行われる[4]。
- 1942年(昭和17年)3月 - 農民道場講堂等の建物が落成し、道路・運動場も完成する[4]。
- 1945年(昭和20年)
- 1946年(昭和21年)
- 1947年(昭和22年)
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 中学部を併置する[9]。
- 1949年(昭和24年)
- 1950年(昭和25年)4月1日 - 児童福祉法(第27条第1項第3号[13])による養護施設となる[10]。在籍生徒について、沢上中学校の学籍として扱うこととなった[12]。
- 1955年(昭和30年)
- 1957年(昭和32年)
- 1961年(昭和36年)1月18日 - 新校舎が竣工する[15]。
- 1966年(昭和41年)
歴代学園長
[編集]- 石川幸一(1944年8月~1946年3月)[16]
- 初代横須賀郊外学園長 - 福岡晋作(1946年1月~1947年7月)[16]
- 2代横須賀郊外学園長 - 金山幸平(1947年9月~1949年9月)[16]
- 3代横須賀郊外学園長 - 上原源治(1949年9月~1957年5月、1955年4月より初代横須賀郊外小学校長[10])[16]
- 4代横須賀郊外学園長 - 和田和市(1957年5月~1961年6月)[16]
- 5代横須賀郊外学園長 - 岡田義一(1961年6月~1964年6月)[16]
- 6代横須賀郊外学園長 - 杉本秋義(1964年6月~)[16]
跡地
[編集]1993年当時、寮跡地は農協によるイチゴ無病菌増殖施設、校舎跡地は雑木林となり、運動場から校舎の階段およびプールは現存していたという[8]。
脚注
[編集]- ^ 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 101.
- ^ a b c 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 108.
- ^ 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 103.
- ^ a b c 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 1.
- ^ 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 14.
- ^ a b c 遠藤由美 1987, p. 35.
- ^ a b c d 遠藤由美 1987, p. 36.
- ^ a b 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 99.
- ^ a b c d 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 2.
- ^ a b c d e f g 愛知県小中学校長会 1957, p. 29.
- ^ 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 105.
- ^ a b c d 名古屋市立緑丘小学校 1993, p. 106.
- ^ 愛知県教育委員会 2006, p. 525.
- ^ 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 20.
- ^ a b 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 3.
- ^ a b c d e f g 名古屋市立横須賀郊外学園 1966, p. 4.
参考文献
[編集]- 愛知県小中学校長会『愛知県小中学校誌』愛知県教育振興会、1957年6月12日。
- 名古屋市立横須賀郊外学園 小学校『名古屋市立横須賀郊外学園 小学校の記録』名古屋市立横須賀郊外学園 小学校、1966年11月20日。
- 遠藤由美(著)、『教育論叢』編集委員会(編)「戦後日本養護問題史研究その2―合宿教育所の設置過程―」『教育論叢』第30号、1987年、25-40頁。
- 名古屋市立緑丘小学校、名古屋市立緑丘中学校『緑丘と郊外学園』名古屋市立緑丘小学校・名古屋市立緑丘中学校、1993年。
- 愛知県教育委員会『愛知県教育史 第5巻』愛知県教育委員会、2006年3月31日。全国書誌番号:21065306。