名島平次郎
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名島 平次郎(名島 平治郎[1]、なしま へいじろう、生没年不詳)は、日本の商人、醸造家、鳥取県の大地主[注 1]。名島家4代目[3]。
人物
[編集]伯耆国米子博労町(現・鳥取県米子市博労町)の人。屋号を「名和川屋」と号し、醤油醸造並びに砂糖綛糸卸売業を営み、目代役をつとめ、苗字帯刀を許される[3]。
家運はもと微々として振るわなかったが、平次郎は早くから家業に奮勉し勤倹力行、家運の振興に意を用い焦心苦慮、商業につとめたため漸々隆運に向かい、家声を発揚した[3]。荒尾家へ銀一貫目献上する[4]。
1876年(明治9年)に三菱汽船により、大阪、境港、函館航路の開拓が請願され、1878年(明治11年)2月から瓊浦丸・九州丸の2隻が就航したが、このとき荷集取扱人として米子から5名(稲田喜重郎、坂口平吉郎、村上辰三郎、佐藤宗吉、名島平治郎)が名を連ねた[1]。
家族・親族
[編集]- 名島家
- 嫡男・嘉吉郎(1845年 - 1909年、名島家5代目[3]、鳥取県多額納税者、醤油醸造兼砂糖綛糸商及代弁業、米子銀行、中国貯蓄銀行各取締役)[5]
- 二男・善市(1851年 - ?、杵村善右衛門の養嗣、醸造家)[3]
- 二女・すか(1855年 - ?、田村源太郎の妻)[7]
- 親戚
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b 『鳥取女子短期大学研究紀要(19)』12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月26日閲覧。
- ^ 『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』15頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月26日閲覧。
- ^ a b c d e 『島根鳥取名士列伝 中』89、168 - 170頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月26日閲覧。
- ^ 『米子市史』314頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月26日閲覧。
- ^ 『日本現今人名辞典 訂正2版』な75頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月27日閲覧。
- ^ 『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』ナ1頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月27日閲覧。
- ^ a b c 『人事興信録 第8版』タ70頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年10月26日閲覧。
参考文献
[編集]- 原亀太郎編『島根県管内耕宅地反別地価壱万円以上持丸長者一覧表』長廻源之助、1881年。
- 『日本現今人名辞典 訂正2版』日本現今人名辞典発行所、1901年。
- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 中』博進館、1903 - 1906年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 聯合通信社編『日本人事名鑑 昭和9年版 下卷』聯合通信社、1933年。
- 『米子市史』米子市、1943年。
- 鳥取女子短期大学学術委員会編『鳥取女子短期大学研究紀要(19)』鳥取女子短期大学、1989年。