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呉徳俊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
呉 徳俊
오덕준
生誕 1921年
大日本帝国の旗 日本統治下朝鮮慶尚南道金海市
死没 1980年
大韓民国の旗 大韓民国
所属組織  大日本帝国陸軍
大韓民国陸軍
軍歴 少尉(日本陸軍)
少将(韓国陸軍)
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呉 徳俊(吳德俊、オ・ドクチュン、오덕준)は大韓民国軍人

人物

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1921年、慶尚南道金海に生まれる。1943年、関西大学法科卒業。学徒出陣して福知山予備士官学校卒業[1]広島県中国軍管区歩兵第5補充隊(第48部隊[2][3])に勤務し、ここで原爆にあって顔半分を被曝し皮膚の色が違っていた[4]。終戦時、日本軍少尉。韓国に帰国後は朝鮮建国準備委員会慶南支部軍事顧問[1]

1946年2月28日付で、軍事英語学校卒業の扱いで任少尉(軍番10059番)、第5連隊(釜山)付[1][5]。同年3月、第5連隊B中隊(中隊長:李致業少尉)副官[6]。1947年、第5連隊作戦主任(大尉)[7]。1947年12月1日、第3旅団人事参謀(少領[8]。1948年6月28日、第3旅団参謀長(中領[9]。同年8月8日、第5旅団参謀長[9]。1949年4月15日、第22連隊長[10]。同年5月、護国軍参謀副長補佐官[1]。同年7月25日、第10連隊長[11]

1950年3月に来日して第24師団で研修を受けていたが[12]朝鮮戦争が勃発すると帰国。部隊(呉徳俊部隊と呼ばれる)を編成して西南部で第6師団の遅滞に任じた。1950年10月14日、陸軍本部高級副官[13]。1950年11月12日、第9師団長[14]。1951年1月2日、第1軍団参謀長(1月13日まで)。同年2月15日、陸軍本部人事局長[15][16]。1951年5月23日、第11師団長[17]。1952年8月、済州地区衛戍司令官兼第1訓練所長[18]。1953年6月17日、第15師団の3代目師団長に就任して陣地の補強や部隊整備に専念していたが、アメリカ陸軍指揮幕僚大学留学のため、6月25日に離任[19]

1955年、合同参謀本部長。

1957年7月、第3軍団長[20]

1959年7月、第5軍団長[21]

1960年5月、戦闘兵科教育司令官。

1961年、予備役編入。11月、農業協同組合中央会長。

1963年、韓国輸出貿易公社代表理事。

1964年、大東工業株式会社会長。

勲章

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出典

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  1. ^ a b c d 佐々木 1976, p. 436.
  2. ^ 오덕준(呉徳俊)”. 釜山郷土文化歴史大典. 2024年9月17日閲覧。
  3. ^ 112~121.中国軍管区”. JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C15011253000、「昭和20年10月下旬「マ」司令部提出 帝国陸軍部隊調査表 集成表(原簿)List4 日本陸軍省(防衛省防衛研究所). 2024年9月17日閲覧。
  4. ^ 白善燁『若き将軍の朝鮮戦争』草思社〈草思社文庫〉、2013年、427頁。 
  5. ^ 佐々木 1976, p. 87.
  6. ^ 佐々木 1976, p. 149.
  7. ^ 佐々木 1976, p. 153.
  8. ^ (PDF) 제주4・3사건자료집5[군경자료편1]. 제주4·3사건진상규명및희생자명예회복위원회. (2002). p. 66. ISBN 89-89205-28-X. http://43archives.or.kr/viewPdf/BBS_201611141133375260.pdf.do?uploadFileSeq=44131 
  9. ^ a b 佐々木 1976, p. 212.
  10. ^ 佐々木 1976, p. 209.
  11. ^ 佐々木 1976, p. 198.
  12. ^ 佐々木春隆『朝鮮戦争/韓国編 中巻』、101頁。 
  13. ^ 박동찬 2014, p. 102.
  14. ^ 박동찬 2014, p. 109.
  15. ^ “將兵(장병) 療養(요양)에 큰 功(공)” (朝鮮語). 부산일보. (1951年5月17日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19510517000028 2019年10月18日閲覧。 
  16. ^ 박동찬 2014, p. 100.
  17. ^ 6・25戦争史 第8巻” (PDF) (韓国語). 国防部軍事編纂研究所. pp. 517. 2016年10月23日閲覧。
  18. ^ 4.3歴史館”. 4.3遺族会. 2016年1月17日閲覧。
  19. ^ 韓國戰爭史第9巻 對陣末期(1953.1.1~1953.7.27)” (PDF). 韓国国防部軍史編纂研究所. p. 69. 2018年10月16日閲覧。
  20. ^ “政府人士發令” (朝鮮語). 부산일보. (1957年7月15日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19570715000020 2019年10月26日閲覧。 
  21. ^ “陸軍將星級異動” (朝鮮語). 부산일보. (1959年7月7日). http://www.busan.com/view/busan/view.php?code=19590707000013 2019年10月26日閲覧。 
  22. ^ Jun Duk Oh”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。
  23. ^ Oh Duk Jun”. Military Times. 2015年11月10日閲覧。

参考文献

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軍職
先代
崔慶萬
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部高級副官
第6代:1950.10.14 - 1950.11.12
次代
金天經
(代理)
先代
黄憲親
大韓民国の旗 大韓民国陸軍本部人事局長
第8代:1951.2.15 - 1951.5.26
次代
金鐘五
先代
張都暎
大韓民国の旗 大韓民国陸軍第1訓練所長
第8代:1952.8.29 - 1953.5.9
次代
権晙
(代理)