周星馳
周星馳 チャウ・シンチー | |||||||||||||||||
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基本情報 | |||||||||||||||||
出身地 | Hong Kong | ||||||||||||||||
生誕 | 1962年6月22日(62歳) | ||||||||||||||||
国籍 |
香港 イギリス領香港(1962-1997) | ||||||||||||||||
別名 | 星爺、幇主 | ||||||||||||||||
英語名 | Stephen Chow | ||||||||||||||||
職業 | 映画監督、俳優 | ||||||||||||||||
ジャンル | 映画(監督・俳優・製作・脚本) | ||||||||||||||||
活動期間 | 1980年 - 現在 | ||||||||||||||||
受賞
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周 星馳(チャウ・シンチー、1962年6月22日 - )は、香港出身の俳優[1]、映画監督[2][3]。別名は星爺(シンイェ)、幇主(簡体字: 帮主; 繁体字: 幫主)。中国人民大学商学院准教授[4]。中国の現代文化に多大な影響を及ぼした、現代中国を代表する映画人の1人である[5][6][7]。
人物・経歴
[編集]生い立ち
[編集]1962年6月22日、香港生まれ。先祖は上海系。3姉弟(上に姉、下に妹)の間っ子として生まれる。父親は遊び人で浮気性であったことから、両親が幼い時に離婚したため、母子家庭で育つ。
中学(日本の学校教育の基準で高校2年)を卒業するが、家庭の事情もあって進学を断念し、就職することになる。しかし、テレビの仕事をする前は、学歴が高くなかったこともあって、秘書(悪く言えば使い走り)のような仕事しか選択できなかった。
芸能デビュー
[編集]無綫電視の俳優養成所第11期の卒業生となる。人気子供番組『430穿梭機』の司会者としてデビュー。この番組は2人の司会者が「良いお兄さん」と「悪いお兄さん」に扮し、「良いお兄さん」が「悪いお兄さん」の素行を叱って話が展開していく教育番組で、チャウは「悪いお兄さん」役を担当した。この役を大好評のうちに5年間務め上げた。
その後、総合チャンネルの司会者を1年務めた後、俳優としての活動を開始。当初は週に1、2日しか仕事がなかったが、この下積み時代にたくさんの本を読むなどして勉強したことが今日の彼を支えているという。
初期のテレビドラマ出演作は脇役、準主役が多い。1988年の映画『カウボーイ・ダンディ』で金馬奨の最優秀助演男優賞を受賞しているが、この頃まではシリアス路線だった。ようやく掴み取ったドラマ初主演の時代劇『蓋世豪侠』で、若者言葉やパロディの台詞など現代感覚を持ち込み、一躍人気者となる。流行語も産み出した。やがて彼独特のナンセンス・他人には意味の掴めない咄嗟の切り返し・アクションは「無厘頭(モウレイタウ)」と呼ばれ、一世を風靡した。
映画監督として
[編集]1993年の『詩人の大冒険』でノンクレジットではあるが一部監督を務める。同作は中国でも公開され1993年度興収1位。1990年代後半には絶大的な人気を博し、周星驰現象を巻き起こし「星爺」(星の親分的な尊称)、全盛期は「幇主周星驰」(周組長)の異名を持った[5]。1994年の『0061北京より愛を込めて!?』で、監督として初めてクレジットされる。
2001年の『少林サッカー』は香港映画歴代興行収入の記録を塗り替え、2002年のブルーリボン賞にて外国作品賞を受賞した[8]。日本でも一躍その名を知られるようになった。同作は世界32カ国で上映され、イタリアで公開されたアジア映画として最大のヒット作となった。
2004年の『カンフーハッスル』は中国公開され2004年度興収1位、その年のアメリカ放送映画批評家協会賞を受賞し、ゴールデングローブ賞と英国アカデミー賞の外国語映画賞にもノミネートされた[9]。世界72カ国で上映され、2005年度にアメリカで公開された外国映画として最大のヒット作となった。
ドラゴンボールの実写化映画『DRAGONBALL EVOLUTION』のプロデューサーだったが(監督にも意欲を示していた[10])、自分の意見が全く採用されないなどの待遇への不満や、作品の出来に対する不満からプロモーション活動には参加せず、一切手を引いた形となっている[11]。また2009年に、自身の監督によってリメイク製作される予定だった『グリーン・ホーネット』からも突然降板した[12][13]。
2013年の『西遊記〜はじまりのはじまり〜』は中国で5200万人を動員し興収1位となり[14]、世界12カ国で上映された。2014年11月21日に日本で公開されることが決定し、これを受け7月22日に6年振りに来日した。本作は自身が熱烈なファンであるドラゴンボールに影響を受けたと述べており[15]、本作を絶賛したドラゴンボール原作者の鳥山明がポスターを描き下ろした[16]。
2016年に公開された『人魚姫』では、世界で1億人超を動員し、アジア映画歴代興行収入No.1を樹立した[2][3][17][18]。
主な出演作品
[編集]太字は日本で劇場公開された作品。
映画
[編集]- カウボーイ・ダンディ(原題:霹靂先鋒、1988)
- 血と報復の掟(原題:捕風漢子、1988)
- サンダードラゴン(原題:流氓差婆、1989)
- ドラゴンファイト(原題:龍在天涯、1989)
- ワイルド・ヒーローズ/暗黒街の狼たち(原題:義胆群英、1989)
- 俺たちの旅路 さらば愛しき日々よ(原題:龍鳳茶樓、1990)
- 超アブない激辛刑事 カリー&ペッパー(原題:咖喱辣椒、1990)
- ゴッド・ギャンブラー 賭聖外伝(原題:賭聖、1990)
- マイヒーロー(原題:一本漫畫闖天涯、1990)
- ゴーストハッスル(原題:師兄撞鬼、1990) - ※香港レジェンドシネマ・フェスティバル(2008)で上映
- ゴッド・ギャンブラーII(原題:賭侠、1991)
- ゴッド・ギャンブラー/リターンズ(原題:賭聖延続篇賭覇、1991)客演
- ゴッド・ギャンブラーIII(原題:賭侠II之上海灘賭聖、1991)
- ファイト・バック・トゥ・スクール(原題:逃學威龍、1991)
- レジェンド・オブ・ドラゴン(原題:龍的傳人、1991)
- トリック大作戦(原題:整蠱専家、1991)
- 新精武門(原題:新精武門一九九一、1991)
- キング・オブ・カンフー(原題:武状元蘇乞兒、1992)
- 熱血弁護士(原題:審死官、1992) - ※香港レジェンドシネマ・フェスティバル(2008)で上映
- ハッピー・ブラザー(原題:家有囍事、1992)
- ファイト・バック・トゥ・スクール2(原題:逃學威龍2、1992)
- ロイヤル・トランプ(原題:鹿鼎記、1992)
- ロイヤル・トランプ2(原題:鹿鼎記II 神龍教、1992)
- 詩人の大冒険(原題:唐伯虎點秋香、1993)※兼監督
- ファイト・バック・トゥ・スクール3(原題:逃學威龍三之龍過雞年、1993)
- マッド・モンク 魔界ドラゴンファイター(原題:濟公、1993) - ※東京ファンタスティック映画祭(1996)でのみ上映
- 0061北京より愛をこめて!?(原題:國產凌凌漆、1994)※兼監督/脚本
- 広州殺人事件(原題:九品芝麻官、1994)
- 最強の出前人(原題:破壞之王、1994)※兼監督
- チャウ・シンチーのチャイニーズ・オデッセイ [其ノ壱](原題:西遊記第壹佰零壹回之月光寶盒、1994)※兼製作
- チャウ・シンチーのチャイニーズ・オデッセイ [其ノ弐](原題:西遊記大結局之仙履奇縁 、1995)※兼製作
- ミラクルマスクマン/恋の大変身(原題:百變星君、1995)
- ゴーストバスター(原題:回魂夜、1995) - ※香港レジェンドシネマ・フェスティバル(2008)で上映
- 食神(原題:食神、1996)※兼監督/製作/脚本
- 008皇帝ミッション(原題:大内密探零零發、1996)※兼監督
- ラッキー・ファミリー(原題:97家有囍事、1997)
- ハッスル・キング(原題:算死草、1997)
- ラッキー・ガイ(原題:行運一條龍、1998)客演
- トリックマスター(原題:千王之王2000、1999)客演
- 喜劇王(原題:喜劇之王、1999)※兼監督/製作/脚本
- 少林サッカー(原題:少林足球、2001)※兼監督/製作/脚本
- カンフーハッスル(原題:功夫、2004)※兼監督/製作/脚本
- ミラクル7号(原題:長江七號、2008)※兼監督/製作/脚本
その他の関係作品
[編集]- 1:99 電影行動(原題:1:99 電影行動、2003)オムニバス作品、一編の監督
- 少林少女(2008)エグゼクティブプロデューサー(名義)……日本映画
- DRAGONBALL EVOLUTION(原題:DRAGONBALL EVOLUTION、2009)製作(名義)
- 西遊記〜はじまりのはじまり〜(原題:西游 降魔篇、2013)監督/製作/脚本
- 人魚姫(原題: 美人魚、2016)監督/製作/脚本[18]
- 西遊記2〜妖怪の逆襲〜(原題:西游 伏妖篇、2017)製作/脚本
- 新喜劇王(原題:新喜劇之王、2019)監督/製作/脚本
- モンキー・キング(原題:THE MONKEY KING、2023)製作総指揮 ※Netflixで配信
日本語吹き替え
[編集]主に担当しているのは、以下の三人である。
このほかにも、檀臣幸、星野充昭、小杉十郎太、小野坂昌也、高木渉なども声を当てている。
関連項目
[編集]- 馳星周:日本の作家。周星馳の大ファンで、彼の名前をひっくり返したものを自分のペンネームとした。
脚注
[編集]- ^ 朱一梵 (2017年1月4日). “周星馳為26億估値簽下超十億対賭協議” (中国語). 人民網 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b 朱明剛 (2016年3月8日). “《美人魚》票房破紀録 周星馳低調登榜首” (中国語). 人民網. オリジナルの2021年5月22日時点におけるアーカイブ。 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b “Top-Grossing Hollywood Directors Of 2016” (英語). Forbes (2016年12月30日). 2022年8月28日閲覧。
- ^ 曾家新 (2004年12月16日). “接受人大兼職教授聘書 周星馳名正言順当教授” (中国語). 人民網. オリジナルの2020年4月7日時点におけるアーカイブ。 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b “著名影星周星馳5月2日将造訪北京大学” (中国語). 新浪. (2001年4月26日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ “北島周星馳等獲首届当代漢語貢献奨” (中国語). 詩生活通訊社. (2001年5月15日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ fengyou01 (2013年1月25日). “周星馳当“官”,“无厘頭”還是“真正經”” (中国語). 諷刺与幽黙報 2022年8月28日閲覧。
- ^ “2002年 第45回 ブルーリボン賞”. allcinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ “Kung fu (2004) Awards” (英語). IMDb. 2022年8月28日閲覧。
- ^ 相馬学 (2014年11月10日). “「ドラゴンボール」の“チチ”がモデル?『少林サッカー』の監督版『西遊記』のヒロイン“段””. シネマトゥデイ 2022年8月28日閲覧。
- ^ 恩田有紀 (2009年2月21日). “周星馳 映画『ドラゴンボール』に不満でPR拒否?”. サーチナ. オリジナルの2015年2月21日時点におけるアーカイブ。 2022年8月28日閲覧。
- ^ Hunter, Rob (2008年12月18日). “Stephen Chow Bows Out Of Director Duties On ‘Green Hornet’, Stays In As Kato” (英語). Film School Rejects 2022年8月28日閲覧。
- ^ Fleming, Michael (2008年12月18日). “Chow no longer to direct ‘Hornet’” (英語). バラエティ 2022年8月28日閲覧。
- ^ “少林サッカー監督 ドラゴンボールに影響”. デイリースポーツ. (2014年7月22日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ 山崎伸子 (2014年7月22日). “チャウ・シンチー監督、自身の新作『西遊記』は「『ドラゴンボール』からひらめきを受けた」”. Movie Walker 2022年8月28日閲覧。
- ^ “映画「西遊記-はじまりのはじまり-」のポスターを鳥山明が書き下ろし”. 人民網日本語版. (2014年11月10日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ “『少林サッカー』チャウ・シンチー最新作は『人魚姫』! 新春に日本上陸決定”. シネマカフェ. (2016年10月25日) 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b “チャウ・シンチー節全開『人魚姫』予告編解禁”. クランクイン!. (2016年11月8日) 2016年11月15日閲覧。
- ^ 山寺宏一(インタビュアー:山形純菜)「山寺宏一の忘れられない現場、オーディションでようやく勝ち取った役とは?」『radiko news』、2019年6月24日 。2022年8月28日閲覧。