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和久井節緒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
わくい せつお
和久井 節緒
プロフィール
本名 和久井 博(わくい ひろし)[1]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本東京府日本橋区
(現:東京都中央区[2]
生年月日 (1932-03-05) 1932年3月5日
没年月日 (1981-01-18) 1981年1月18日(48歳没)
職業 声優俳優[3]
事務所 東京俳優生活協同組合(最終所属)[4][5]
公称サイズ(時期不明)[4]
身長 / 体重 160 cm / 73 kg
声優活動
活動名義 和久井 節雄
我久井 節緒
活動期間 1960年代 - 1981年
ジャンル アニメ吹き替え特撮
俳優活動
活動名義 和久井 節雄
我久井 節緒
活動期間 1950年代 - 1981年
ジャンル テレビドラマ
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

和久井 節緒(わくい せつお、1932年昭和7年〉3月5日[4][5][3] - 1981年〈昭和56年〉1月18日[5][3][6])は、日本声優俳優[3]東京府日本橋区(現:東京都中央区)出身[2]東京俳優生活協同組合に所属していた[4][5]

略歴

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東京府日本橋区(現:東京都中央区)で誕生[2]

日本大学芸術学部演劇学科卒業[7]

1954年、ドラマグループ二十一世紀参加[8]。劇団新芸設立を経て、一時的に芸能界から離れていたが復帰[2]。1957年、金星プロ所属[7][8]、1959年、PTC芸能部所属[7][8]東京俳優生活協同組合[8]、笹の会[9]、文芸プロ[7][9]を経て、再び東京俳優生活協同組合に所属していた[4]

『ジ・アニメ』で連載されていた『勝田久の声優入門』にあるニュースによると、1981年当時は、体調が悪かったものの、同年1月17日夕刻まで、CM録音に奮戦して、帰宅後に胸の苦しみを訴えて直ちに入院[5]。しかし、3時間後の同年1月18日未明、肺炎により死去[5]。48歳没。このことは、「がまん強い昭和一ケタ声優の壮烈な戦死」と評している[5]

人物・特色

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声種テノール[1]

役柄としては、独特の癖のある声質を生かして、怪人、小太り系のキャラクターを多く演じていた[3]。悪役では、台詞回しにビブラートを効かせていた発声法を多く用いていた不気味な演技を得意にしていた[3]

出演

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テレビドラマ

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テレビアニメ

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1963年
1965年
1966年
1967年
1968年
1970年
1973年
1974年
1975年
1976年
1978年
1979年
1980年

劇場アニメ

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吹き替え

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人形劇

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特撮

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音楽

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舞台演出

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  • ほたるの歌(1955年、ドラマグループ二十一世紀)[15]

脚注

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  1. ^ a b 『TVアニメ大全科part2』秋田書店、1979年、232頁。 
  2. ^ a b c d 「テレビ人名鑑」『キネマ旬報』臨時増刊テレビ大鑑、キネマ旬報社、1958年6月、161頁。 
  3. ^ a b c d e f 和久井 節緒”. ザテレビジョン. 2024年11月23日閲覧。
  4. ^ a b c d e 『日本タレント名鑑(1981年版)』VIPタイムズ社、1980年、218頁。 
  5. ^ a b c d e f g 「ニュース」『ジ・アニメ』1981年3月号、近代映画社、1981年2月、151頁。 
  6. ^ 和久井 節緒」『Excite News』(エキサイト株式会社)。2023年11月5日閲覧。
  7. ^ a b c d 『声優の世界-アニメーションから外国映画まで』朝日ソノラマファンタスティックコレクション別冊〉、1979年10月30日、109頁。 
  8. ^ a b c d 『タレント名鑑NO1』芸能春秋社、1962年、94頁。 
  9. ^ a b 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1964年、103頁。 
  10. ^ 海賊王子”. 東映アニメーション. 2016年6月16日閲覧。
  11. ^ 小さなバイキングビッケ”. メディア芸術データベース. 2016年12月7日閲覧。
  12. ^ UFO戦士ダイアポロン”. エイケン オフィシャルサイト. 2016年6月22日閲覧。
  13. ^ ずっこけナイト ドンデラマンチャ”. 株式会社 葦プロダクション 公式サイト. 葦プロダクション. 2024年3月5日閲覧。
  14. ^ ながぐつ三銃士”. 東映アニメーション. 2021年9月8日閲覧。
  15. ^ 「演劇ニュース」『テアトロ』No.144、カモミール社、1955年5月、125 - 128頁。 

外部リンク

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