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和気貞臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
和気 貞臣
時代 平安時代前期
生誕 弘仁8年(817年
死没 仁寿3年4月14日853年5月25日
別名 字:和仁
官位 従五位下大内記
主君 仁明天皇文徳天皇
氏族 和気氏
父母 父:和気仲世、養父:和気真綱
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和気 貞臣(わけ の さだおみ)は、平安時代初期の貴族播磨守和気仲世の三男。官位従五位下大内記

経歴

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幼い頃に母を喪うが、定められたの基準を越えて悲しみ悼み、叔父・和気真綱はこれを深く哀れんだという[1]。若くして、治部卿安倍吉人に付いて老荘の教えを受ける。のちに、大学に入学して休まず研鑽し、承和8年(841年文章得業生に補せられ[2]、承和10年(843年対策を受験するも不第となった[3]

承和14年(847年)大学大允、嘉祥元年(848年大内記を経て、仁寿元年(851年従五位下叙爵する。のちに疱瘡を患ったために、仁寿3年(853年)4月14日卒去享年37。最終官位は大内記従五位下。

人物

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聡明鋭敏である一方、質素素朴で華やいだところは少なかった。また、を非常に恐れた。些細な技能には興味が無く、ただ囲碁のみを愛好し、好敵手と相対した際は、日が暮れて対局が深夜に及んでも気がつかない程であったという[1]

官歴

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続日本後紀』による。

脚注

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  1. ^ a b 日本文徳天皇実録』仁寿3年4月14日条
  2. ^ この時の位階正七位上
  3. ^ この時の位階は正六位下

参考文献

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