和田宗実
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時代 | 鎌倉時代初期 |
---|---|
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 三郎[1] |
氏族 | 和田氏 |
父母 | 父:杉本義宗、母:大庭景継の娘[2] |
兄弟 |
義盛、義茂、宗実、義胤、義長、 小笠原遠光室 |
子 | 津村尼(高井重茂室) |
和田 宗実(わだ むねざね、生没年不詳)は、鎌倉時代初期の武将。通称は三郎[1]。
経歴・人物
[編集]治承・寿永の乱では源範頼に従い、西海に出陣し平氏と戦う[1]。
文治5年(1189年)の奥州合戦に出陣[1]。建久元年(1190年)と同6年(1195年)の頼朝上洛にも従う[1]。建久3年(1192年)には軍功を賞され越後国奥山荘の地頭となる[1][3]。
男子がなかった宗実の娘婿で、甥の高井重茂(兄の義茂の子)が宗実の後を継いだが、建暦3年(1213年)の和田合戦において和田一族の中でただ1人北条方に付き、従兄弟の朝比奈義秀に討たれている。