和田漁港
和田漁港(わだぎょこう)は、千葉県南房総市にある第2種漁港。南房総市の東部に位置し南房総国定公園の区域内にある。沖合に好漁場を有し沿岸漁業沖合漁業とも盛んである。ツチクジラの捕鯨基地があることから鯨のたれが有名である。2021年時点では関東唯一の捕鯨基地である[1][2]。
概要
[編集]- 管理者 - 千葉県農林水産部水産局
- 漁業協同組合 -東安房漁業協同組合(和田支所[3])
- 組合員数 - 365人(うち正組合員59人)(2017年3月時点)[4]
- 漁港番号 - 1920080[5]
- 水揚量 -
沿革
[編集]- 1920年(大正9年) - 県により修築される[6][7]。
- 1948年(昭和23年)6月8日 - 和田町に捕鯨拠点が設けられる[8]。
- 1952年(昭和27年)2月29日 - 第2種漁港に指定される。
主な魚種
[編集]沿岸漁業や磯根漁業を主とする漁港である[2]。2015年、2016年のデータでは、重量・金額ベースともにサバ、イワシ、アジ等の定置網漁業の水揚高が多いほか、金額ベースではイセエビ、アワビの水揚金額も多い[2]。また、関東で唯一の沿岸捕鯨基地として、年26頭のツチクジラ(一部マゴンドウ[9])を水揚する[2]。
捕鯨基地
[編集]江戸時代以降、安房地方では勝山(鋸南町)、館山、乙浜(南房総市白浜町)と拠点を変えながらツチクジラ漁が行われてきたが、現在捕鯨を行っているのは和田漁港のみである[8]。ツチクジラは深く潜水するため、網取り捕鯨が開発された後も、明治期に銃が使用されるようになるまでは突取り法による漁が継続されてきた[10]。江戸時代には、主要な用途として皮下脂肪から採取される鯨油が江戸周辺に流通し[11]、鯨肉は地元で消費されていた[12]。また、近代において、地域のビワ農家等で骨粉が肥料として評価されていたが、製造過程のにおい等により生産が打ち切られている[13]。
1949年から操業を開始し[14]現在に至る外房捕鯨株式会社は、宮城県の捕鯨地域である鮎川との関わりが深く、昭和40年代以降、砲手等の捕獲作業や、解体作業の中心は鮎川出身者が担っている[15]。和田浦のツチクジラ漁の様子が記録されたドキュメンタリー映画として、「鯨捕りの海」(1998年)がある。
捕獲後、解体まで12時間から18時間漁港内に係留し、肉を熟成させるのは、主用途が干し肉製造等で生食でないためである[15]。捕獲から解体までは時間に余裕があることで、現在はウェブ上で捕獲状況や解体の予定が発信されており、観光客や地元住民の解体見学等も可能である[16]。
参考文献
[編集]- “南房総市外房漁村再生計画” (pdf). 南房総市 (2018年3月). 2022年8月7日閲覧。
- 小島孝夫 編『クジラと日本人の物語 : 沿岸捕鯨再考』東京書店、2009年。ISBN 9784885740589。
- 小島孝夫「捕鯨文化における伝統 : 千葉県安房地方の鯨食文化を事例に」『日本常民文化紀要』第24巻、成城大学、2004年3月、53-83頁。
- 石川創「日本の小型捕鯨業の歴史と現状」『国立民族学博物館調査報告』第149巻、国立民族学博物館、2019年6月24日、129-152頁。
- 和泉節夫、和泉諄子「鯨はすべてでした」『鯨を生きる : 鯨人 (くじらびと) の個人史・鯨食の同時代史』吉川弘文館、2017年、37-58頁。ISBN 9784642058452。 外房捕鯨の砲手とその妻のインタビュー。
脚注
[編集]- ^ “関東唯一の捕鯨基地でツチクジラ水揚げ”. 産経ニュース (2021年11月20日). 2021年11月20日閲覧。
- ^ a b c d 南房総市 2018, pp. 1, 11
- ^ “和田支所”. 東安房漁業協同組合 (2015年12月30日). 2022年8月7日閲覧。
- ^ 南房総市 2018, p. 8
- ^ “漁港一覧:水産庁”. www.jfa.maff.go.jp. 2022年8月7日閲覧。
- ^ 『角川日本地名大辞典』角川書店、1984年、905頁。
- ^ 山下琢巳「銚子漁港の整備とその歴史的背景」『歴史地理学調査報告』第11巻、筑波大学歴史・人類学系歴史地理学研究室、2004年3月、35頁。
- ^ a b 小島 2009, p. 107
- ^ “小型鯨類の漁業と資源調査(総説)”. 平成30年度 国際漁業資源の現況. 水産研究・教育機構. 2019年11月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月10日閲覧。
- ^ 小島 2004, p. 59
- ^ 小島 2009, p. 159
- ^ 小島 2009, p. 163
- ^ 小島 2004, p. 72
- ^ 小島 2009, p. 108
- ^ a b 小島 2009, pp. 160–161
- ^ 石川 2019, p. 148