和田義信
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時代 | 鎌倉時代初期 |
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生誕 | 文治2年(1186年) |
死没 | 建暦3年5月3日(1213年5月24日) |
別名 | 六郎兵衛尉 |
氏族 | 和田氏 |
父母 | 父:義盛 |
兄弟 | 常盛、義氏、朝比奈義秀、義直、義重、義信、秀盛、杉浦義国 |
子 | 正信 |
和田 義信 (わだ よしのぶ)は、鎌倉時代の武士。和田義盛の子。通称六郎兵衛尉[1]。
略歴
[編集]義信は和田義盛の六男として生まれた。建暦3年(1213年)、和田合戦で討死。享年28[1]。
義信が合戦の際に上野国群馬郡赤坂荘白川郷に隠れ、さらに義信の子の正信のとき白川郷から赤坂荘に移り、孫の信高にいたって、この地を和田宿と改称したという伝承がある[2][3]。
脚注
[編集]- ^ a b 『続群書類従 6上(系図部)』 1957, p. 23.
- ^ “高崎城”. 2022年9月19日閲覧。
- ^ 『高崎市史第1巻』 1968, p. 152.
- ^ “高崎城”. 2022年9月19日閲覧。
参考文献
[編集]- 『続群書類従 6上(系図部)』(続群書類従完成会、1957年、23p)
- 『高崎市史第1巻』(高崎市史編さん委員会 、1968年、152p)