唐君毅
人物情報 | |
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生誕 |
1927年11月9日 清 四川省宜賓市 |
死没 |
2008年1月22日 (80歳没) イギリス領香港 |
出身校 | 北京大学 |
学問 | |
研究分野 | 中国哲学(新儒家) |
研究機関 | 香港中文大学 |
唐 君毅(とう くんき、Tang Jun-yi、1909年1月17日 - 1978年2月2日)は、現代中国の著名な思想家。熊十力などに師事し、牟宗三や徐復観などとともに新儒家の代表的学者とされる。
経歴
[編集]- 出生から修学期
1909年(宣統元年)1月17日、四川省叙州府宜賓県で生まれた。祖籍は広東省五華県で、祖父の代から四川省へ移っていた。重慶連合中学で学び、蒙文通について学んで宋明理学に関心を持った。また父と同じく支那内学院の欧陽竟無(欧陽漸)について仏教についても学んだ。1925年に北京の中俄大学[1]に入学するも、同年北京大学に移る。翌1926年、再び国立中央大学哲学系に移って学んだ。
1932年に大学を卒業し、故郷の四川省に戻って中学教師となった。1937年より華西大学の教員となった。1940年には再び重慶中央大学に転じた。
1949年以降は共産党支配から逃れ、銭穆らとともに香港に住んだ。1957年、アメリカ合衆国国務省の招聘を受けて留学。1958年に徐復観、張君勱、牟宗三と共に「現代新儒家宣言」[2](為中国文化敬告世界人士宣言, A Manifesto on the Reappraisal of Chinese Culture:Our Joint Understanding of the Sinological Study Relating to World Cultural Outlook)を発表した。これは新儒家の学者らの憂いを表明した宣言であり、中国文化と政治姿勢の再考であった。1963年に新亜書院と崇基学院が統合され香港中文大学となると、新亜書院の哲学講座の教授となった。1974年に同大学を退任し、1975年には国立台湾大学の客員教授を務めた。同年肺癌と診断され、1978年に死去した。
主要著作
[編集]- 《人生之體驗》(1946年)
- 《心物與人生》(1953年)
- 《中國文化之精神價値》(1953年)
- 《人文精神之重建》(1955年)
- 《中國哲學原論》:《原性篇》、《原道篇》、《原教篇》(1956年-1975年)
- 《中國人文精神之發展》(1958年)
- 《文化意識與道德理性》(1958年)
- 《哲學概論》上、下(1961年)
- 《道德自我之建立》(1963年)
- 《説中華民族之花果飄零》(1974年)
- 《中華人文與當今世界》(1975年)
- 《生命存在與心靈境界》(1977年)
- 《病裡乾坤》(1980年)
- 《愛情之福音》
- 《青年與學問》