唐木圀和
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人物情報 | |
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生誕 |
1941年(82 - 83歳) 日本 東京市四谷区 |
出身校 |
慶應義塾大学 商学士 (1963年) 慶應義塾大学 商学修士 (1965年) 慶應義塾大学 商学博士(2008年) |
学問 | |
研究分野 | 国際経済学 |
研究機関 |
慶應義塾大学 常磐大学 |
指導教員 | 白石孝 |
称号 | 慶應義塾大学名誉教授 |
影響を受けた人物 |
ゴットフリート・フォン・ハーバラー アルバート・O・ハーシュマン 山本登 矢内原勝 大熊一郎 |
影響を与えた人物 | 遠藤正寛 |
唐木 圀和(からき くにかず、1941年3月 -)は、日本の経済学者[1]。専門は国際経済学、開発経済学。慶應義塾大学名誉教授。
経歴
[編集]1941年3月に東京市四谷区に生まれる[1]。1947年に文京区立元町小学校を卒業、1956年に文京区立第四中学校を卒業、1959年に東京都立小石川高等学校を卒業する[1]。1963年に慶應義塾大学商学部を卒業、1965年に同大学大学院商学研究科修士課程を修了、1968年に同博士課程を単位取得退学する[1]。1965年に慶應義塾大学商学部助手となり、1972年に同助教授、1984年に同教授となる[1]。1970年から2年間米国のフレッチャー・スクールを、1986年から2か月間中国復旦大学を訪問している[1]。2006年に慶應義塾大学を定年退官、同名誉教授となり、常磐大学国際学部教授に就任している[1]。
退任記念講義では、指導教授の白石孝と、唐木にとっての教員の山本登、矢内原勝、大熊一郎、そして唐木にとっての学友の福島義久、深海博明、大山道広に礼を述べている[2]。松本三郎が主宰し(当時まで)25年続いていた「三田ASEAN研究会」には第10回から参加し始め、250回までほとんど参加した[2]。赤川元章と共に「東アジア研究会」を開き東アジア経済について議論した[2]。
学外でも、アジア政経学会評議員、日本私立大学連盟学生部会委員などを務めている。国際経済学会とアジア政経学会に所属した[1]。
研究
[編集]留学中にゴットフリート・フォン・ハーバラー、アルバート・O・ハーシュマンから得た示唆を基に、開発経済学、中国経済についての研究を行った[3]。
著作
[編集]単著
[編集]- 『中国経済近代化と体制改革』(慶應義塾大学出版会、2006年)
共著・編著
[編集]- 『ヴェトナム和平の経済的影響と東南アジア関係諸国』(世界経済研究協会、1969年)
- (矢内原勝)『近代化の条件』(ダイヤモンド社、1972年)
- (板垣與一)『日本の資源問題』(日本経済新聞社、1972年)
- (田中喜助)『ワークブック貿易論』(有斐閣、1980年)
- 『日本貿易学会三十年史―日本経済の発展と通商政策の歩み―』(社団法人日本貿易会、1980年)
- (矢内原勝・深海博明・大山道広)『世界経済のニュー・フロンティア』(文眞堂、1988年)
- (松本三郎・川野邦衛)『東南アジアにおける中国のイメージと影響力』(大修館書店、1991年)
- (白石孝)『世界経済の新形成と日本』(文眞堂、1991年)
- (大山道広・高梨和紘)『東アジアの国際交流と経済発展』(文眞堂、1993年)
- 『現代アジアの統治と共生』(慶應義塾大学出版会、2002年)
- 『東アジア経済研究のフロンティア』(慶應義塾大学出版会、2004年)
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h 慶應義塾大学商学会 (2006).「唐木圀和教授 略歴および主要研究業績」『三田商学研究』49巻2号, 249-253頁.
- ^ a b c 桜本, 光 (2006).「唐木圀和教授退任記念号発刊にあたって」『三田商学研究』49巻2号.
- ^ 唐木, 圀和 (2006).「退任記念講演 中国経済近代化と体制改革」『三田商学研究』49巻2号, 1-16頁.