唐津市立鏡山小学校
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唐津市立鏡山小学校 | |
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北緯33度25分34.2秒 東経130度0分33.1秒 / 北緯33.426167度 東経130.009194度座標: 北緯33度25分34.2秒 東経130度0分33.1秒 / 北緯33.426167度 東経130.009194度 | |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 唐津市 |
併合学校 |
唐津市立鏡小学校 唐津市立宇木小学校 唐津市立半田小学校 |
設立年月日 | 1970年(昭和45年)4月1日 |
共学・別学 | 男女共学 |
学校コード | B141220200124 |
所在地 | 〒847-0031 |
佐賀県唐津市鏡1231番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
唐津市立鏡山小学校(からつしりつ かがみやましょうがっこう)は、佐賀県唐津市鏡にある公立小学校。
2021年度(令和3年度)5月時点で在籍児童数は962名、佐賀県内で一番児童数の多い公立小学校である[1][2]。
概要
[編集]歴史
[編集]1970年(昭和45年)に唐津市の小学校3校(鏡小学校・宇木小学校・半田小学校)を統合して開校した。2020年(令和2年)に創立50周年を迎えた。
学校教育目標
[編集]「たくましい体と思いやりの心を持ち、自ら学ぶ児童の育成」
校歌
[編集]作詞は楢崎宗重、作曲は松下又彦による。歌詞は3番まであり、各番とも校名の「鏡山」で終わる。
校区
[編集]住所表記で唐津市の後に「鏡(かがみ)、松南町(しょうなんちょう)、原(はる)、柏崎(かしわざき)、半田(はだ)、宇木(うき)」の続く地域。中学校区は唐津市立鏡中学校[3]。
沿革
[編集]- 旧・鏡小学校(かがみ)
- 1887年(明治20年)3月 - 小学校令により、尋常科(4年制)を設置の上、「久里鏡両村組合立 尋常原小学校」が創立(「原」の読みは「はる」)。
- 宇木小学校を統合の上、宇木分校とする。
- 1892年(明治25年)4月 - 「久里鏡両村組合立 原尋常小学校」に改称。
- 1901年(明治34年)4月 - 原尋常小学校の二村組合を解消し、「鏡尋常高等小学校」を新設。
- 1903年(明治36年)9月 - 半田尋常小学校を分離・新設。
- 1906年(明治39年)9月 - 校舎一部を新築し、まず高等科を移転。
- 1907年(明治40年)- 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される。
- 1908年(明治41年)9月 - 校舎がすべて完成し、尋常科も移転を完了。
- 1926年(大正15年)4月 - 半田尋常小学校を統合し、半田分校とする。
- 1938年(昭和13年)4月 - 宇木分校・半田分校が分離し、宇木尋常小学校・半田尋常小学校として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「鏡国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科が改組され、「鏡村立鏡小学校」に改称。
- 1948年(昭和23年)10月1日 - 久里村の分村により、原地区(一部)、中原地区(一部)、柏崎地区の児童を収容。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 鏡村が唐津市に編入され、「唐津市立鏡小学校」に改称。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 統合により閉校。統合校舎が完成するまでの間、「鏡校舎」として使用(3校舎分散授業)が継続される。
- 旧・宇木小学校(うき)
- 1875年(明治8年)9月 - 「有喜小学校」が創立。
- 1880年(明治13年)4月 - 校舎を新築し、「宇木小学校」に改称。
- 1887年(明治20年)3月 - 統合により、「久里鏡両村組合立 尋常原小学校 宇木分校」となる。
- 1892年(明治25年)4月 - 「久里鏡両村組合立 原尋常小学校 宇木分校」に改称。
- 1901年(明治34年)4月 - 「鏡尋常高等小学校 宇木分校」を新設。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 鏡尋常高等小学校から分離の上、「宇木尋常小学校」として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「宇木国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科が改組され、「鏡村立宇木小学校」に改称。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 鏡村が唐津市に編入され、「唐津市立宇木小学校」に改称。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 統合により閉校。統合校舎が完成するまでの間、「宇木校舎」として使用(3校舎分散授業)が継続される。
- 最終所在地 - 唐津市宇木町1450番地1(宝満神社に隣接)
- 跡地の活用 - 現在は宇木公民館として使用されている。
- 旧・半田小学校(はだ)
- 1903年(明治36年)9月 - 鏡尋常高等小学校から「半田尋常小学校」が分離新設される。半田常楽寺と観音堂を仮校舎とする。
- 1904年(明治37年)7月 - 校舎を新築し移転を完了。
- 1926年(大正15年)4月 - 統合により、「鏡尋常高等小学校 半田分校」となる。
- 1938年(昭和13年)4月1日 - 鏡尋常高等小学校から分離の上、「半田尋常小学校」として独立。
- 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令施行により、「半田国民学校」に改称。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)により、国民学校初等科が改組され、「鏡村立半田小学校」に改称。
- 1954年(昭和29年)11月1日 - 鏡村が唐津市に編入され、「唐津市立半田小学校」に改称。
- 1970年(昭和45年)3月31日 - 統合により閉校。統合校舎が完成するまでの間、「半田校舎」として使用(3校舎分散授業)が継続される。
- 最終所在地 - 唐津市半田町3237番地(半田天神社に隣接)
- 跡地の活用 - 現在は「半田ふれあいセンター」や「くりのみ保育園 半田分園」などの敷地となっている。
- 統合・鏡山小学校
- 1970年(昭和45年)4月1日 - 鏡・宇木・半田の小学校3校を統合の上、「唐津市立鏡山小学校」(現校名)が開校。
- 新校舎完成までの間、旧小学校校舎をそれぞれ鏡校舎、宇木校舎、半田校舎として利用。鏡校舎に校長を置き本部とする。
- 1971年(昭和46年)
- 7月 - 現在地に鉄筋コンクリート造3階建ての新校舎が完成し、移転。
- 9月 - 新校舎での授業を開始。分散授業を行っていた3校舎を廃止。
- 12月 - 中庭観察池、観察教材池が完成。
- 1980年(昭和55年)5月 - 国際児童年記念事業として運動場の東端に交通公園を設置。
- 1981年(昭和56年)4月1日 - 特殊学級を廃止。
- 1985年(昭和60年)4月1日 - 学級増(21学級)のために教室が不足する。保健室を普通教室に、会議室を保健室にして対応する。
- 1989年(平成元年)3月 - 学級増加対策として、鉄筋コンクリート造2階建ての特別教室棟が西側に完成。同時に普通教室棟の旧特別教室を普通教室に改装。
- 1995年(平成7年)4月1日 - 特殊学級を復級。
- 1999年(平成11年)4月1日 - 放課後児童クラブを開設。
- 2001年(平成13年)~ 2005年(平成17年) - わんぱく相撲全国大会に5年連続で出場。
- 2006年(平成18年)4月1日 - 教室不足の為、特殊学級を普通教室に、放課後児童クラブを特殊学級とする。また運動場東側に放課後児童クラブの施設を新築。
- 2009年(平成21年)4月1日 - のびのび学級(特別支援学級)を2学級とする。
- 2011年(平成23年)4月1日 - のびのび学級を3学級とする。
- 2020年(令和2年)
- 4月 - この年度の児童数は961名。
- 4月6日 - 校舎建て替えに伴い、仮設校舎に移転。のびのび学級を9学級とする。
- 2022年(令和4年)1月12日 - 新校舎落成式を挙行。普通教室は11増の36教室となった。新校旗が寄贈された[1][4]。
交通アクセス
[編集]最寄りの鉄道駅
[編集]最寄りのバス停留所
[編集]- 昭和自動車「鏡山小学校」バス停
最寄りの幹線道路
[編集]周辺
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 「県内最多児童へ新校舎 落成式 唐津市立鏡山小の教室不足解消」(毎日新聞佐賀県版, 2022年(令和4年)1月13日号)
- ^ 佐賀県内で児童数2番目は佐賀市立兵庫小学校。
- ^ 唐津市立小学校及び中学校の通学区域に関する規則 - 唐津市ウェブサイト
- ^ 佐賀県内最多児童数、教室不足解消 体育館屋上にプール佐賀新聞Live(2022年1月14日)
参考資料
[編集]- 「唐津市史 復刻版」(1991年(平成3年)3月1日発行, 唐津市)p.1185-p.1186 (鏡小学校、宇木小学校、半田小学校について)