四海波太郎
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四海波 太郎(しかいなみ たろう、1883年1月1日 - 1933年12月10日[1])は、現在の兵庫県洲本市出身で小野川部屋(大阪)出羽海部屋(東京)に所属した力士。本名は佐渡 太郎市。4代君ヶ濱。171cm、90kg。最高位は大阪では東関脇、東京では東小結。
経歴
[編集]大阪相撲の小野川部屋に入門。1908年6月西昇の四股名で入幕[2]。1910年1月関脇に進み番付発表後に師名を継ぎ八陣と改名[2]。1912年1月東京に移り四海波の名で前頭5枚目格に付出され、1915年1月小結[2]。右四つからの寄りが得意で、横綱梅ヶ谷と3度引分になったことがある[2]。1917年1月に引退、4代君ヶ濱を襲名したが、1921年5月に廃業した。
成績
[編集]- 幕内成績(大阪)6場所29勝9敗4分3預
- 幕内成績(東京)11場所28勝52敗17休10分3預
場所別成績(東京)
[編集]春場所 | 夏場所 | |||||
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1912年 (明治45年) |
西前頭7枚目 3–3–3 1預[3] |
東張出前頭5枚目 2–4–2 2分 |
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1913年 (大正2年) |
東前頭11枚目 3–4 2分1預 |
西前頭8枚目 5–4 1分 |
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1914年 (大正3年) |
西前頭2枚目 3–5 2分 |
東前頭6枚目 6–2–1 1預 |
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1915年 (大正4年) |
東小結 2–8 |
東前頭3枚目 1–9 |
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1916年 (大正5年) |
東前頭8枚目 0–9 1分 |
東前頭15枚目 3–4–1 2分 |
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1917年 (大正6年) |
西前頭16枚目 引退 0–0–10 |
x | ||||
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名
[編集]脚注
[編集]- ^ 京須利敏・水野尚文『令和三年版 大相撲力士名鑑』(共同通信社) 27頁
- ^ a b c d ベースボールマガジン社『大相撲名門列伝シリーズ(1) 出羽海部屋・春日野部屋 』(2017年、B・B・MOOK)p24
- ^ 番付外。
- ^ http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=3625&l=j
- ^ 大相撲力士名鑑平成13年版、水野尚文、京須利敏、共同通信社、2000年、ISBN 978-4764104709