国号
国号(こくごう)とは、主に国の称号、あるいは名称のこと[1]。2通りの意味において使用されており、1つは「帝国」、「王国」、「大公国」、「公国」、「首長国(土侯国)」、「共和国(民国)」などの統治体制(政体)を表す部分を含めた国の名称を指す用法であり、もう1つは政体を除いた固有名詞部分のみを指す用法である。
政体を含めない用例としては「韓国ノ国号ヲ改メ朝鮮ト称スルノ件」(明治43年勅令第318号)がある。同勅令は「韓国ノ国号ハ之ヲ改メ爾今朝鮮ト称ス」としており、政体(当時の韓国は帝政を布いていた帝国)を含めないで国号という語を用いている。なお、韓国併合ニ関スル条約(明治43年条約第4号)では互いの国名を「日本国・韓国」と表記しているが、それを遡る日韓議定書(1904年2月23日)では互いの国名を「大日本帝国・大韓帝国」としている。
日本の国号
[編集]政体を含めない日本の国号は、「日本」である。日本の呼称は古くから多数あり、大和政権による統一以来「やまと」「おおやまと」と称されたと見られ、「日本」が国号として定められた時期は明確でなく、大化から大宝までのある時期だと考えられる[2]。この用例の最初の確実なものとしては、一般的には大宝元年(701年)施行の大宝律令の「明神御宇日本天皇(あきつみかみとあめのしたしらすやまとのすめらみこと)」がそれとされている。『日本書紀』(養老4年(720年)完成)では大化元年7月(645年8月)の条に、高句麗や百済の使者に示した詔に「明神御宇日本天皇」の文言が出ている。また最初の徴候としては、有名な中国『隋書』大業3年(607年)の「日出づる処の天子」があげられる。朝鮮半島の史書においては『三国史記』(12世紀に編纂)「新羅本紀」の文武王10年12月(671年1月)条に、「倭国、号を日本に更む。自ら言う、日出づるに近きを以て名を為す」とある。
飛鳥池遺跡出土の天武6年(677年)銘の木簡から、この頃「天皇」号が既に使用されていることが分かっている。「天皇」号の使用と「日本」号の使用は軌を同じくするとみられている。平成23年(2011年)7月、禰軍という名の百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表された。墓誌は678年制作と考えられており、事実なら日本という国号が記された最も古い例となる[3]。
中世日本では、「大日本国」を「大日如来の本国」の意と解釈しており、『釈日本紀』巻第五にもこの説が記述されている[4]。
近代以降の日本の国号については、これを正面から定めた法令はないが、大日本帝国憲法下では「大日本帝国」、日本国憲法下では「日本国」が国号として使用される[5][6]。明治4年(1871年)に鋳造された国璽には「大日本國璽」と刻まれ、明治7年(1874年)の改鋳に際しても印文は変更されず、今日に至るまで使用されている。
明治維新以降、日本は国内・国外向けの各種文書において自国の国号を統一せず、大日本帝国憲法制定以後も「日本、日本國、日本帝國、大日本國、大日本帝國」など各種のものを併用していた[注釈 1]。このような実際の国号使用に統一性はなかったが、昭和10年(1935年)に帝国議会で国号の不統一が問題として取り上げられ、7月に外務省では外交文書上の国号を「大日本帝國」に統一することを決定し、宮内省も歩調を合わせ同様の国号表記を用いることとなった[7][注釈 2]。
昭和21年(1946年)公布の日本国憲法では、「日本国」(原文では日本國)という語が用いられている。
中国の国号
[編集]前近代の中国においては、中原に住む部族の国家の国号は一字であり、非中原の異民族国家は国号が二字であるという意識があった[8]。そのため、後漢から南北朝期にかけて、日本が「倭」の国号で使節を送ることは中国側にとって違和感のあるものであり、むしろ聖徳太子が国号を「日本」と改めて国書を送るのは中国側も納得のいくものであったとする見解もある[9]。
世界各国の国号
[編集]共和国
[編集]- アゼルバイジャン共和国
- アフガニスタン・イスラム共和国
- アルジェリア民主人民共和国
- アルゼンチン共和国
- アルバニア共和国
- アルメニア共和国
- アンゴラ共和国
- イエメン共和国
- イタリア共和国
- イラク共和国
- イラン・イスラム共和国
- インドネシア共和国
- ウガンダ共和国
- ウズベキスタン共和国
- ウルグアイ東方共和国
- エクアドル共和国
- エジプト・アラブ共和国
- エストニア共和国
- エチオピア連邦民主共和国
- エルサルバドル共和国
- オーストリア共和国
- ガーナ共和国
- カーボベルデ共和国
- ガイアナ協同共和国
- カザフスタン共和国
- ガボン共和国
- カメルーン共和国
- ガンビア共和国
- 北マケドニア共和国
- ギニア共和国
- ギニアビサウ共和国
- キプロス共和国
- キューバ共和国
- ギリシャ共和国
- キリバス共和国
- キルギス共和国
- グアテマラ共和国
- クロアチア共和国
- ケニア共和国
- コートジボワール共和国
- コスタリカ共和国
- (コソボ共和国)
- コロンビア共和国
- コンゴ共和国
- コンゴ民主共和国
- サントメ・プリンシペ民主共和国
- ザンビア共和国
- サンマリノ共和国
- シエラレオネ共和国
- ジブチ共和国
- シリア・アラブ共和国
- シンガポール共和国
- ジンバブエ共和国
- スーダン共和国
- スリナム共和国
- スリランカ民主社会主義共和国
- スロバキア共和国
- スロベニア共和国
- セーシェル共和国
- 赤道ギニア共和国
- セネガル共和国
- セルビア共和国
- ソマリア連邦民主共和国
- (大韓民国)
- タジキスタン共和国
- タンザニア連合共和国
- チェコ共和国
- チャド共和国
- 中央アフリカ共和国
- 中華人民共和国
- (中華民国)
- チュニジア共和国
- 朝鮮民主主義人民共和国
- チリ共和国
- ドイツ連邦共和国
- トーゴ共和国
- ドミニカ共和国
- トリニダード・トバゴ共和国
- トルコ共和国
- ナイジェリア連邦共和国
- ナウル共和国
- ナミビア共和国
- ニカラグア共和国
- ニジェール共和国
- ハイチ共和国
- パキスタン・イスラム共和国
- パナマ共和国
- バヌアツ共和国
- パラオ共和国
- バヌアツ共和国
- パラオ共和国
- パラグアイ共和国
- バングラデシュ人民共和国
- 東ティモール民主共和国
- フィジー共和国
- フィリピン共和国
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- ブラジル連邦共和国
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- ボリバル共和国
- ベラルーシ共和国
- ペルー共和国
- ポーランド共和国
- ボツワナ共和国
- ポルトガル共和国
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- マダガスカル共和国
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- マリ共和国
- マルタ共和国
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- 南スーダン共和国
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- モーリシャス共和国
- モーリタニア・イスラム共和国
- モザンビーク共和国
- モルディブ共和国
- モルドバ共和国
- ラオス人民民主共和国
- ラトビア共和国
- リトアニア共和国
- リベリア共和国
- ルワンダ共和国
- レバノン共和国
連邦
[編集]- アラブ首長国連邦
- エチオピア連邦民主共和国
- オーストラリア連邦
- スイス連邦
- ソマリア連邦共和国
- ドイツ連邦共和国
- ナイジェリア連邦共和国
- ブラジル連邦共和国
- ミクロネシア連邦
- ミャンマー連邦民主共和国
- ロシア連邦
王国
[編集]- グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
- オランダ王国
- カンボジア王国
- サウジアラビア王国
- スウェーデン王国
- スペイン王国
- タイ王国
- デンマーク王国
- トンガ王国
- ノルウェー王国
- バーレーン王国
- ブータン王国
- ベルギー王国
公国
[編集]- アンドラ公国
- モナコ公国
- ルクセンブルク大公国
帝国
[編集]- (日本国)
首長国
[編集]- アラブ首長国連邦
合衆国
[編集]- アメリカ合衆国
- メキシコ合衆国
- (カナダ合衆国)
文献情報
[編集]- 「国号に見る「日本」の自己意識」前野 みち子(名古屋大学大学院国際文化研究科 言語文化研究叢書第5号(2006年3月)「日本像を探る」 )[1]
- 我国国号問題ニ関スル資料(外務省記録「条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件」外務省条約局第一課昭和11年5月 アジア歴史資料センター所収)[2]レファレンスコード「B04013401600」で検索可能
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 例えば、下関条約では、天皇を「大日本國皇帝陛下」と、本文では「日本國」と、全権弁理大臣の肩書としては「大日本帝國」とそれぞれ表されていた。
- ^ 閣議決定や天皇裁可、帝国議会議決などによるものではない。
出典
[編集]- ^ 新村出編 『広辞苑』1983年 岩波書店
- ^ “日本の国の名は、古代から現代までどのように呼ばれていたのか。”. レファレンス協同データベース. 国立国会図書館. 2024年10月15日閲覧。
- ^ 「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化 - 朝日新聞 2011年10月22日
- ^ 遠藤慶太 『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 中公新書 2016年 p.189.
- ^ 大辞林大日本帝国
- ^ 名古屋大学 前野みち子『言語文化研究叢書』 第5号(2006年3月)「日本像を探る」 国号に見る日本の自己意識
- ^ 我国国号問題ニ関スル資料(外務省記録「条約ノ調印、批准、実施其他ノ先例雑件」外務省条約局第一課昭和11年5月 アジア歴史資料センター所収)
- ^ 陳舜臣 『中国歴史シリーズ 中国の歴史(二)』 講談社文庫 1997年 pp.96 - 97.
- ^ 同『中国歴史シリーズ 中国の歴史(二)』 講談社文庫 1997年 p.97.
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 『国号の由来』:新字新仮名 - 青空文庫(喜田貞吉著)