国府谷盛純
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保13年(1728年)6月14日 |
死没 | 天明3年(1783年)7月13日 |
官位 | 正六位下、壱岐守 |
幕府 | 江戸幕府 |
氏族 | 徳大寺家庶流国府谷氏 |
父母 | 徳大寺盛栄 |
国府谷 盛純(こうのだに もりすみ)は、江戸時代の武士。徳大寺家出身。有栖川宮の諸大夫[1]。
出自
[編集]『地下家伝』によると、徳大寺公胤には実胤という子がおり、その子・実治の5代孫が盛純の父である盛栄にあたるという[1]。
概要
[編集]享保13年(1728年)6月14日に生まれた。明和6年(1769年)5月2日には侍として従六位下・右兵衛少尉に叙任された。翌年には辞官し位記を返上した上で、正六位下・壱岐守に叙任された。天明3年(1783年)7月13日に54歳で死去した[1]。