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国鉄トキ1形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄オト6199形貨車から転送)
国鉄トキ1形貨車
基本情報
車種 無蓋車
運用者 鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
所有者 鉄道省
運輸通信省
運輸省
日本国有鉄道
旧形式名 オト6199形
改造年 1928年(昭和3年)*
総数 5両
消滅 1949年(昭和24年)
主要諸元
車体色
軌間 1,067 mm
全長 10,134(自動連結器時代)[1] mm
車体長 9,449[1] mm
全幅 2,489[1] mm
全高 1,791[1] mm
荷重 25[2] t
実容積 14.9[2] m3
自重 10.3 t - 10.6 t
換算両数 積車 2.8
換算両数 空車 1.2
台車 二軸ボギー台車
軸距 1,524[1] mm
台車中心間距離 6,706[1] mm
最高速度 65 km/h
備考 *称号規程改正年
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国鉄トキ1形貨車(こくてつトキ1がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省等に在籍した無蓋貨車である。

概要

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1909年(明治42年)に、鉄道作業局が汽車製造で5両を製作した、日本初の25トン(石炭荷重15トン)積み汎用二軸ボギー無蓋車である。製造当時は、ムボ1001形(ムボ1001 - ムボ1005)と称した。手用制動機付きであったことから、1911年(明治44年)の鉄道院車両称号規程制定ではフオト6199形(フオト6199 - フオト6203)、後にオト6199形(オト6199 - オト6203)、となった。1928年(昭和3年)の車両称号規程改正では、トキ1形(トキ1 - トキ5)に改称された[2]

制作当時としては破格の大型車[3]でなぜ制作されたのか謎が多いが、落成からしばらくは現在の大物車のような位置づけで使用され、小野浜(後の神戸港)や海舞鶴に配置された[2]

(なお、同時期の1910年に、同じように大型ボギーの有蓋車ホテワ1形(後のテキ1形(初代))がこちらも少数製造されている。)

全体的な構造は木製4枚側で前後2か所に部分あおり戸を持ち、当時の一般的な二軸無蓋車と比べると側板高さは同程度だが、幅は2インチほど広めになっている。台枠はトラス棒式で車体内側に2本のトラス棒があり、台車は軸距5フィート(1,524 mm)の二軸の菱形台車(後のTR15形に類別)であった[2]

なお、製造時期が古いため製造時には空気ブレーキ関連の装備はなく、後に貫通ブレーキ管はつけられたが、最後までブレーキシリンダーがなかったため、後年は自車ブレーキなしの「+」の記号をつけて運用され続け、晩年は木材輸送に使用されて1949年度に形式消滅した[2]

荷台の内寸は長さ9,373 mm、幅2,311 mm、側板高さ711 mm、容積は14.9 m3である。その他の主要諸元は、全長10,131 mm、全幅2,489 mm、全高1,791 mm、台車中心間6,706 mm[2]、自重10.13 t - 10.39 tである。

脚注

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  1. ^ a b c d e f 吉岡2020p.32「図8-1 トキ1形の形式図」
  2. ^ a b c d e f g 吉岡2020p.32本文
  3. ^ ムボ1001形以前には石運目的用の17トン積みの二軸車(後のセキ1M44)や鉄桁運搬用の15トン積みの三軸車(後のケタ10M44→チム1)が最大級であり、1901(明治34)年になっても有栖川宮熾仁親王の銅像に使用する25トンあった土台石を既存貨車で運搬不能であったため、特注で臨時の貨車を作った記録がある。
    吉岡2007p.6-7)

参考文献

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  • 「車輌形式図 貨車下巻 大正15年」1926年、鉄道省刊
  • 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
  • 吉岡心平『RM LIBRARY91 大物車のすべて(上)』株式会社ネコ・パブリッシング、2007年。ISBN 978-4-7770-5195-3 
  • 吉岡心平『RM LIBRARY245 無蓋車の本(下) -国鉄制式無蓋車の系譜-』株式会社ネコ・パブリッシング、2020年。ISBN 978-4-7770-5466-4