国鉄トム4500形貨車
国鉄トム4500形貨車 | |
---|---|
基本情報 | |
車種 | 無蓋車 |
運用者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
所有者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
製造所 | 川崎車輛 |
製造年 | 1938年(昭和13年) |
製造数 | 50両 |
種車 | トタ50000形 |
消滅 | 1970年(昭和45年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒+黄1号帯 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 8,046 mm |
全幅 | 2,740 mm |
全高 | 2,265 mm |
荷重 | 15 t |
実容積 | 37.2 m3 |
自重 | 8.0 t |
換算両数 積車 | 2.0 |
換算両数 空車 | 0.8 |
走り装置 | 一段リンク式 |
車輪径 | 860 mm |
軸距 | 4,000 mm |
最高速度 | 65 km/h |
国鉄トム4500形貨車(こくてつトム4500がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)に在籍した無蓋貨車である。
概要
[編集]1944年(昭和19年)に、川崎車輛で台湾総督府鉄道向けに製造された、二軸無蓋車トタ50000形[1]のうち、制海権喪失により台湾に発送できず本土に残っていた50両を、戦後の1946年(昭和21年)に購入したものである。番号は、トム4500 - トム4549で、国鉄では15トン積みとして使用した。形式番号が若いのは、車軸が短軸であるため、長軸形式の第一形式であるトム5000形の前に置いたためである。
本形式には、台湾向け貨車の特徴と戦時設計無蓋車の構造、そして国鉄トラ20000形とも異なる増積手法が見られ、興味深い。
台湾向け貨車の特徴としては、車軸が短軸であること、自動連結器の高さが本土向けより20 mm 高い900 mm であること、自動連結器が下作用式であること、連結器の緩衝器が輪ばね式であることである。特に短軸であるため台枠の構造が本土向け貨車と異なっており、台枠側梁と長土台間の距離が大きいため、長土台受けの構造が山型鋼を用いて強化されている。
戦時設計の特徴は、プレス部品を用いず形鋼組み立てとした軸箱守や妻柱、数の少ない蝶番板ボルトに見られ、台枠が標準構造と異なることから、晩年までその特徴を残していた。
増積手法としては、トラ20000形と同じくあおり戸を5枚側としたが、高さは同形式よりも低く、蝶番の位置(高さ)もトムと同じである。詳細図面が未発見のため推定であるが、あおり戸高さは180 mmの板を5枚用いた920 mmと、トム50000形(850 mm)とトラ20000形(975 mm)の中間であったと思われる。
車体の平面寸法はトム50000形を基本とし、あおり戸は片側2枚で、中央部の側柱は取り外し式となっている。その他の主要諸元は、全長8,056 mm、全幅2,740 mm、自重8.0 tである。下回りは軸距4,000 mmで、軸ばね受けは一段リンク式となっており、最高運転速度は65 km/hである。
その後も、汎用無蓋車として全国で使用されたが、1968年(昭和43年)10月1日国鉄ダイヤ改正では、全車が高速(最高速度75 km/h)化の対象から外され、「ロ」車として黄帯を標記し、北海道内に封じ込めて運用された。1968年度末には3両が在籍していたが、1970年(昭和45年)度に形式消滅となった。
改造
[編集]ヤ10形
[編集]1961年(昭和36年)に本形式及びトム5000形、トム16000形、トム50000形より37両が青函連絡船石炭積込用車(職用車)に改造され形式名はヤ10形(ヤ10 - ヤ46)と定められた。函館及び五稜郭へ配属され運用された。
車体塗色は黒で、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正では高速化不適格車とされて最高速度65 km/hの指定車となり、識別のため記号に「ロ」が追加され「ロヤ」となり黄1号の帯を巻いた。
当初は石炭焚きであった連絡船であったがディーゼル化にともない徐々に数を減らし最後まで在籍した車両が1970年(昭和45年)に廃車となり形式消滅した。
脚注
[編集]- ^ トタ50000形は、台湾総督府鉄道トタ16000形の戦時増積改設計車であり、積載荷重は16 - 17トンと思われる。国鉄の保有した形式図はトタ16000形のものを流用しており、トタ50000形である本形式の実態とは異なる。
参考文献
[編集]- 「国鉄貨車形式図集 I」1992年、鉄道史資料保存会刊 ISBN 4-88540-076-7
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
- 吉岡心平「プロフェッサー吉岡の貨車研究室 第48回」レイルマガジン 2011年8月号(No.335)