国鉄トキ1形貨車
国鉄トキ1形貨車 | |
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基本情報 | |
車種 | 無蓋車 |
運用者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
所有者 |
鉄道省 運輸通信省 運輸省 日本国有鉄道 |
旧形式名 | オト6199形 |
改造年 | 1928年(昭和3年)* |
総数 | 5両 |
消滅 | 1949年(昭和24年) |
主要諸元 | |
車体色 | 黒 |
軌間 | 1,067 mm |
全長 | 10,134(自動連結器時代)[1] mm |
車体長 | 9,449[1] mm |
全幅 | 2,489[1] mm |
全高 | 1,791[1] mm |
荷重 | 25[2] t |
実容積 | 14.9[2] m3 |
自重 | 10.3 t - 10.6 t |
換算両数 積車 | 2.8 |
換算両数 空車 | 1.2 |
台車 | 二軸ボギー台車 |
軸距 | 1,524[1] mm |
台車中心間距離 | 6,706[1] mm |
最高速度 | 65 km/h |
備考 | *称号規程改正年 |
国鉄トキ1形貨車(こくてつトキ1がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省等に在籍した無蓋貨車である。
概要
[編集]1909年(明治42年)に、鉄道作業局が汽車製造で5両を製作した、日本初の25トン(石炭荷重15トン)積み汎用二軸ボギー無蓋車である。製造当時は、ムボ1001形(ムボ1001 - ムボ1005)と称した。手用制動機付きであったことから、1911年(明治44年)の鉄道院車両称号規程制定ではフオト6199形(フオト6199 - フオト6203)、後にオト6199形(オト6199 - オト6203)、となった。1928年(昭和3年)の車両称号規程改正では、トキ1形(トキ1 - トキ5)に改称された[2]。
制作当時としては破格の大型車[3]でなぜ制作されたのか謎が多いが、落成からしばらくは現在の大物車のような位置づけで使用され、小野浜(後の神戸港)や海舞鶴に配置された[2]。
(なお、同時期の1910年に、同じように大型ボギーの有蓋車ホテワ1形(後のテキ1形(初代))がこちらも少数製造されている。)
全体的な構造は木製4枚側で前後2か所に部分あおり戸を持ち、当時の一般的な二軸無蓋車と比べると側板高さは同程度だが、幅は2インチほど広めになっている。台枠はトラス棒式で車体内側に2本のトラス棒があり、台車は軸距5フィート(1,524 mm)の二軸の菱形台車(後のTR15形に類別)であった[2]。
なお、製造時期が古いため製造時には空気ブレーキ関連の装備はなく、後に貫通ブレーキ管はつけられたが、最後までブレーキシリンダーがなかったため、後年は自車ブレーキなしの「+」の記号をつけて運用され続け、晩年は木材輸送に使用されて1949年度に形式消滅した[2]。
荷台の内寸は長さ9,373 mm、幅2,311 mm、側板高さ711 mm、容積は14.9 m3である。その他の主要諸元は、全長10,131 mm、全幅2,489 mm、全高1,791 mm、台車中心間6,706 mm[2]、自重10.13 t - 10.39 tである。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 吉岡2020p.32「図8-1 トキ1形の形式図」
- ^ a b c d e f g 吉岡2020p.32本文
- ^ ムボ1001形以前には石運目的用の17トン積みの二軸車(後のセキ1M44)や鉄桁運搬用の15トン積みの三軸車(後のケタ10M44→チム1)が最大級であり、1901(明治34)年になっても有栖川宮熾仁親王の銅像に使用する25トンあった土台石を既存貨車で運搬不能であったため、特注で臨時の貨車を作った記録がある。
(吉岡2007p.6-7)
参考文献
[編集]- 「車輌形式図 貨車下巻 大正15年」1926年、鉄道省刊
- 貨車技術発達史編纂委員会 編「日本の貨車―技術発達史―」2008年、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊
- 吉岡心平『RM LIBRARY91 大物車のすべて(上)』株式会社ネコ・パブリッシング、2007年。ISBN 978-4-7770-5195-3。
- 吉岡心平『RM LIBRARY245 無蓋車の本(下) -国鉄制式無蓋車の系譜-』株式会社ネコ・パブリッシング、2020年。ISBN 978-4-7770-5466-4。