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国鉄3800形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本鉄道 203(後の鉄道院 3802)

3800形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道院・鉄道省に在籍したタンク式蒸気機関車である。

概要

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元は、日本鉄道1898年(明治31年)にイギリスダブスから4両(製造番号3653 - 3655, 3659)を輸入した、車軸配置4-6-2(2C1)のタンク機関車で、Db3/6形(201 - 204)と称された。日本で唯一、4-6-2形車軸配置を持つタンク機関車である。同時期に導入された車軸配置4-4-0(2B)の5830形テンダー機関車とは系列設計で、同形式の先輪の第2軸と動輪の第1軸を半ば無理やり押し込み、従輪を1軸付け加えた形であり、第1動輪はフランジレスであった。また、日本の蒸気機関車としては、初めて動力逆転機を装備した。

本形式は非常に特異な構造を持ち、常磐炭田産の低質炭を燃料とするため、ウッテン式に近い広火室と燃焼室が採用され、ボイラーの伝熱面積と火格子面積の比が非常に小さい。この火室を避けるため、第2・第3動輪間距離は5500形と比べて203mm延長されている。国有化後の1914年(大正3年)には、ボイラーの非効率さを改善するため、火格子面積を縮小し、燃焼室を撤去する改造が盛岡工場大宮工場で施工された。

当初は勾配線用として黒磯庫に配置された。1904年(明治37年)に勃発した日露戦争では、全車が陸軍野戦鉄道提理部に供出され、満州に送られたが、1906年(明治39年)に全車が無事に帰還している。国有化後に制定された鉄道院の車両形式称号規程では、3800形(3800 - 3803)とされた。その後、3800が宇都宮庫、3803が福島庫の配置となったが、晩年は全車が仙台庫に集結した。1922年(大正11年)7月に廃車され、全部が解体されている。引張力は大きかったが、ボイラーが常磐炭田産の低質炭用で効率が悪いうえ、蒸気不昇騰といったトラブルも多く、多軸で第1動輪にフランジがないため脱線しやすかったようである。

主要諸元

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/以降の数値は、ボイラー改造後の数値である。

  • 全長:10,953mm
  • 全高:3,734mm
  • 全幅:2,426mm
  • 軌間:1,067mm
  • 車軸配置:4-6-2(2C1)
  • 動輪直径:1,372mm
  • 弁装置スチーブンソン式基本型
  • シリンダー(直径×行程):432mm×584mm / 406mm×584mm
  • ボイラー圧力:11.2kg/cm2 / 12.7kg/cm2
  • 火格子面積:2.42m2 / 1.57m2
  • 全伝熱面積:84.6m2 / 94.6m2
    • 煙管蒸発伝熱面積:76.0m2 / 88.1m2
    • 火室蒸発伝熱面積:8.6m2
  • ボイラー水容量:3.14m3 / 3.5m3
  • 小煙管(直径×長サ×数):44.5mm×3,112mm×175本 / 50.8mm×3,680mm×150本
  • 機関車運転整備重量:54.88t
  • 機関車空車重量:43.08t
  • 機関車動輪上重量(運転整備時):34.12t
  • 機関車動輪軸重(第2動輪上):11.51t
  • 水タンク容量:5.89m3
  • 燃料積載量:1.83t
  • 機関車性能
    • シリンダ引張力:7,560kg / 7,570kg
  • ブレーキ装置:手ブレーキ真空ブレーキ

参考文献

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  • 臼井茂信「国鉄蒸気機関車小史」1956年、鉄道図書刊行会
  • 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、誠文堂新光社
  • 臼井茂信「機関車の系譜図 1」1972年、交友社
  • 金田茂裕「形式別 日本の蒸気機関車I」エリエイ出版部 プレス・アイゼンバーン刊
  • 金田茂裕「日本蒸気機関車史 私設鉄道編 I」エリエイ出版部 プレス・アイゼンバーン刊
  • 沖田祐作「機関車表 国鉄編 I」レイルマガジン 2008年9月号 (No.300)付録