国鉄ED15形電気機関車
ED15形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が、1926年(大正15年)に日立製作所で製造した直流用電気機関車である。
概要
[編集]国産では初の民間製本線用電気機関車として、1070形の名で3両(1070 - 1072)が製造された。1928年(昭和3年)10月の車両形式称号規程改正により、ED15形(ED151 - ED153)に形式番号が改められている。
1922年(大正11年)12月、鉄道省大宮工場(現・大宮総合車両センター)で輸入電気機関車を小平浪平ら幹部が見学させてもらい、自社製造を決意。まだ鉄道省から注文がないまま1923年(大正12年)6月から製造に着手、第一号機が組立完了したのは1924年(大正13年)4月12日であった[1][2]。1924年12月16日、鉄道省は、日立製作所製電気機関車(59トン)の公開試験運転をおこなった(のちのED15形)[3]。
設計・製造とも日立製作所が独自に行い、電気部分の製造は助川工場(現・日立市)、車体を含む機械部分は笠戸工場が担当している。1924年(大正13年)12月に大宮工場で公開をした後、1925年(大正14年)1月からは東海道本線・東京 - 蒲田間で各種試験を行い、良好な成績をおさめることができた。
車体は当時主流の箱型、窓隅は角形、妻面に突き出した形状のはしごを有するなど、機能本位の無骨な外観で、屋根上にパンタグラフを2基搭載する。1号機と2、3号機とでは内部機器配置に相違があり、外観にも差が見られる。国産の本線用機関車としては初めて、先従台車のない全粘着軸形式で、車体の台枠を介して牽引力を伝えるスイベル式を採用した。この方式はその後の国鉄機では戦後まで省みられなかったが、日立では本機を小型化した機関車を富士身延鉄道(210形電気機関車)や長野電鉄(500形電気機関車)などに納入するなど、私鉄機では一般的な手法となる。
同時期に欧米から輸入されたED10形、ED11形、ED12形、ED13形、ED14形と同等の牽引定数とされたが、パンタグラフは架線の高さが高いときの押上げ力が小さく、架線が低いときの押上げ力が大きいという問題点があったとされ、のちに国鉄標準形として制式採用されたPS10形に取り替えられている。
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静態保存されている1号機
(2017年6月3日 / 日立製作所水戸事業所) -
ED151の形式図
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ED152, ED153の形式図
運用
[編集]当初は、東海道本線で貨物列車を牽引していたが、1932年(昭和7年)に八王子機関区(現・八王子総合鉄道部)に移り、中央本線で使用された[4]。のちに一部を除いて東海道本線に戻されたが、老朽化に伴う台枠の変形等の故障が多くなったため、1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)にかけて順次廃車された[5]。
主要諸元
[編集]- 全長:13,260mm
- 全幅:27,80mm
- 全高:3,840mm
- 運転整備重量:58.12t
- 電気方式:直流1,500V(架空電車線方式)
- 軸配置:B-B
- 台車形式:板台枠
- 主電動機:MT18形×4基
- 歯車比:19:77(1:4.05)
- 1時間定格出力:820kW
- 1時間定格引張力:9,000kg
- 1時間定格速度:34km/h
- 最高運転速度:65km/h
- 動力伝達方式:歯車1段減速、吊り掛け式
- 制御方式:非重連、抵抗制御、2段組み合わせ制御、弱め界磁制御
- 主制御器:電磁空気単位スイッチ式
- ブレーキ方式:EL14A空気ブレーキ、手ブレーキ
保存機
[編集]1960年に廃車となった1号機が、日立製作所水戸事業所に静態保存されている。
2011年7月24日、日本機械学会により「幹線用電気機関車ED15形」として機械遺産に選定された[6]。
参考文献
[編集]- 交友社『鉄道ファン』1963年9月号 日高冬比古 JNRの電気機関車4 EB10・ED15
- 西尾源太郎「日本の車輛製作所とその代表車輛6 - 日立製作所」『レイル』No7 1978年10月号
- 小熊米雄「東海道本線の1070形」『鉄道ファン』No327、1988年7月号
脚注
[編集]- ^ 続いて2・3号機も1925年10月21日と1926年2月21日に完成した。
- ^ 「民間で出来た最初の電気機関車」 1924年5月28日付大阪時事新報(神戸大学附属図書館新聞記事文庫)
- ^ 日立製作所史
- ^ 中央線用に改造『鉄道統計資料. 昭和6年度 第2編 建設 工務 工作 電氣 研究』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 1 - 3号機は八王子区で廃車を迎えた。
- ^ [1]