圓照寺 (吹田市)
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圓照寺 | |
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解体された旧山門 | |
所在地 | 大阪府吹田市山田東3丁目14-27 |
位置 | 北緯34度47分59.8秒 東経135度31分51.4秒 / 北緯34.799944度 東経135.530944度 |
山号 | 圓満山 |
院号 | 普門院 |
宗旨 | 真言宗 |
宗派 | 高野山真言宗 |
本尊 | 千手観音 |
創建年 | 仁寿3年(853年) |
開基 | 円仁(慈覚大師) |
正式名 | 圓満山普門院圓照寺 |
別称 | 千里山田観音 |
札所等 |
摂津国八十八箇所第43番 |
公式サイト | https://enshoji.net |
法人番号 | 3120905001235 |
圓照寺(えんしょうじ)は、大阪府吹田市山田東にある高野山真言宗の寺院。
歴史
[編集]寺伝によれば、仁寿3年(853年)文徳天皇の勅により円仁(慈覚大師)が創建。 円仁が桜の木の中に感得した千手観音を、自ら一刀三礼して勤刻した千手観音菩薩像を本尊とする。貞観12年に清和天皇が行幸されて本尊を秘仏と定める。 元慶6年には陽成天皇が病気回復を祈願し、その御礼として行幸された際、日光菩薩・月光菩薩の脇士を寄進したという。 寛平6年(894年)宇多天皇の勅命により、醍醐寺の聖宝理源大師が入寺し、不動・毘沙門二天を護摩堂に安置、皇后の病気平癒をご祈祷する。これより真言の道場となる。 寺坊は山田全域に建てられ、円実坊・十地坊など十余の僧坊があり、観音堂・奥院など七堂伽藍が整備されたという。
応仁の頃(1467年-1469年)細川氏の家臣、香西玄蕃が山田庄中村に一城を構え寺領を横奪し伽藍を破壊。 江戸時代初期、円実坊阿闍梨覚玄が残った諸仏像を草堂に祀り、一村本願寺顕如に帰依した時期も小堂に諸仏を安置されていた。 ようやく、万治年間(1658年-1661年)に法仰覚祐が領主板倉阿波守の助力で再建する[1]。
昭和45年(1970年)、本堂を新築再建する。
平成8年(1996年)、准胝堂・鐘楼・地蔵堂を新築再建する。
大阪府北部地震及び平成30年台風第21号の影響により山門と地蔵堂が破損し、解体される。
文化財
[編集]- 大阪府指定文化財
- 木造准胝観音准胝観音立像 - 平安時代
- 1970年(昭和45年)2月20日指定[2]
- 木造観音菩薩立像(寺伝日光・月光菩薩像) - 平安時代
- 1974年(昭和49年)3月29日指定[2]
- 吹田市指定文化財
- 絹本著色妙音天像 - 鎌倉時代
- 1998年(平成10年)9月30日指定[3]
- 吹田市登録有形文化財
- 絹本墨画不動明王像 - 鎌倉時代〜南北朝時代時代
- 1998年(平成10年)9月30日登録[4]