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土井利義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
土井利義
時代 江戸時代後期
生誕 安永6年6月27日1777年7月31日
死没 文政元年6月4日1818年7月6日
改名 銀之助(幼名)、利義
別名 笠州
戒名 対松院殿信誉涼風漣漪居士
墓所 東京都府中市紅葉丘の誓願寺→多磨霊園に改葬
福井県大野市錦町の善導寺
官位 従五位下右京亮中務少輔甲斐守造酒正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
越前大野藩
氏族 井伊氏土井氏
父母 井伊直幸、大魏院(池崎氏)
土井利貞
兄弟 井伊直尚井伊直寧俊姫井伊直富
井伊直中井伊直広真田幸専利義
井伊直明井伊直容井伊直致、扁勝、
暉玄、摂有、松平康哉正室、
立花鑑門正室、雍姫、磐、松平忠馮正室、謙ら
岡部長備娘栄香院
河合氏、中井氏、亀尾、道
利忠堀田利金江島利豊、トシ、
多羅尾純門室ら4男7女
利器
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土井 利義(どい としのり)は、越前国大野藩5代藩主。利房系土井家5代。

略歴

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安永6年(1777年)6月27日、近江彦根藩主・井伊直幸の十男として彦根で生まれる。寛政3年(1791年)5月、大野藩第4代藩主・土井利貞の四女・松と婚約し、利貞の婿養子となる。寛政4年(1792年)12月、従五位下、右京亮に叙任する。寛政5年(1793年)に中務少輔に転任する。寛政9年(1797年)に松が早世すると、岡部長備の娘である栄香院と結婚した。

文化2年(1805年)11月8日、利貞の隠居で家督を継ぐ。文化5年(1808年)2月に甲斐守に転任する。文化6年(1809年)12月に造酒正に転任する。文化7年(1810年)3月10日、当時はまだ実子の利忠は生まれていなかったため、養子の利器に家督を譲って隠居した。文政元年(1818年)6月4日に江戸目白下の下屋敷で死去した。享年42。

文武両道の名君で、善政に尽くしたと言われている。

系譜

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父母

正室

側室

  • 河合氏
  • 中井氏
  • 亀尾

婚約者

子女

養子