土井市之進
土井 市之進(どい いちのしん、1867年1月10日(慶応2年12月5日[1][注 1]) - 1949年(昭和24年)3月18日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。山口県阿武郡萩町長。
経歴
[編集]長州藩士・土井之喜の長男として生れる[1]。陸軍士官学校幼年生徒を経て、1889年(明治22年)7月、陸士(旧11期)を卒業して[2]、歩兵少尉に任官し歩兵第9連隊付となる[1][3]。1896年(明治29年)11月、台湾総督府軍務局課員に就任[1]。1897年(明治30年)11月、台湾補給廠勤務に転じ、1900年(明治33年)1月、福州に私費留学した[1]。同年8月、参謀本部付として廈門に駐在。歩兵第9連隊中隊を経て、1902年(明治35年)12月、陸軍戸山学校を卒業[1]。1903年(明治36年)12月、参謀本部付として清国に派遣され、1904年(明治37年)1月から同年5月にかけて僧侶に変装して遼陽で情報収集を行った[1]。同年4月、その功績により個人感状を授与された[1]。同年7月、満州軍司令部付となり、同年10月、歩兵少佐に昇進し満州で諜報活動に従事した[1][2]。
1905年(明治38年)10月、歩兵第9連隊付となり、1907年(明治40年)11月、北京駐屯歩兵隊長に転じた[1]。1909年(明治42年)6月、歩兵中佐に進み、同年12月、近衛歩兵第3連隊付となる[1]。1912年(明治45年)2月、参謀本部付として福州に駐在し、同年5月に帰国[1]。1912年(大正元年)9月、北京駐屯歩兵隊長に再任され、1913年(大正2年)8月、歩兵大佐に昇進し歩兵第52連隊長に就任[1][4]。1916年(大正5年)4月、支那駐屯軍司令部付となり[4] パプチャプ事件(満蒙独立運動)に参加した[1]。同年8月、歩兵第12連隊長に転じ、1918年(大正7年)7月、陸軍少将に進級し待命となる[1][2][4]。1919年(大正8年)1月、予備役に編入された[1][2][4]。
1920年(大正9年)10月から1922年(大正11年)8月まで召集され、浦塩派遣軍司令部嘱託としてシベリア出兵に出動した[1]。その後、1925年(大正14年)5月まで南満州鉄道嘱託としてハルビン札免公司理事を務めた[1]。
また、1925年10月から1927年(昭和2年)9月まで、山口県萩町長に在任した[1]。
親族
[編集]栄典
[編集]- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[5]
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』488頁では慶応2年10月。